“京都のブラタモリ”、「まいまいツァー」に午前中参加してました。

醍醐寺総門の向かいに、寺侍の末裔のお宅が何軒か並んでいます。

「寺侍」とは、僧衣を纏いながら、帯刀・妻帯を許された事務方の武士のこと。

正式には、「坊官」というそうです。

護衛を担った寺侍もいるようですが。

しかし、明治の廃仏毀釈で、坊官も職を失い、任地を離れた人たちも。




こちらは、「旧下村家」。醍醐寺の米倉を担う庄屋でした。

現在もお住まいになられている中、室内を拝見させていただきました。





「山田家」は、醍醐三宝院門跡に支えたお家柄のお宅です。

今日は、この山田家の活用や醍醐町の文化を守る活動をされてる方が、ガイドして下さいました。





「旧下村家」は、国の「登録有形文化財」ですが、金銭的他、国からの支援は、全くないとか。

藁葺き屋根の藁をカラスが巣作りに持ってったり、アライグマが、ゴッソリ抜き去っていくこともあるそうです。

京都市の方からは、いくばくかの支援はあるかもしれませんが、基本は“自助努力”で守っていく感じではないでしょうか?

「登録有形文化財」を国民でサポートする仕組みが必要だと、強く思いました。

すでに、あると良いのですが。