京都国立近代美術館の「没後100年 富岡鉄斎展」を

観に行きました。


作品より、“画室でたくさんの書物に囲まれた鉄斎さんの写真”に圧倒された。


富岡鉄斎さんを「すごい」という友達や知人もいるけど、展覧会で作品を観ただけでは、理解できなかった。


ということで、今朝の日曜美術館の番組を、いつになく真剣に視聴しました!




鉄斎さんは“最後の文人画家”と呼ばれてます。“文人とは、学問をおさめ文章をよくする人”で、“文人画とは、文人が余技で描いた画”のこととか。


「万巻の書を読み、万里の路を行く」を徹底的に実践された方なのですね。





展覧会で鑑賞するにつけ、画に書かれてる文章(画賛)が分からない。作品を理解するためには、重要な要素なだけに、もどかしい。


願わくは、画賛の内容を解説していただけたらありがたい。


鉄斎さんは、先人が描いた画や書物を参考にして描いていたとか。その際、“拙”と“醜”を大事に、“絵は娯楽、人格で描く”とされたとか。


要は、「画にこだわってない」ということなんですね。私が好きな日本画家は、画にこだわり、そこから開放され描いてる感じがします。


ああ、鉄斎さんの作品との向き合い方が違ってたんだ。




清荒神清澄寺にある鉄斎美術館には、鉄斎さんが所蔵されてた書物もあるとか。行って、それも拝見したいです。


鉄斎さんの「明日の心配ごとができたら、明日心配すればよい」という言葉も好きだなあ。鉄斎さんが何を語ってきたのか、もっと知りたくなりました。


“老いるほどに自由奔放”になられた鉄斎さん。鉄斎さんの“自由奔放”は、私が考えるのとは、次元も深さも違うと思いますが、「それは、何なのか?」考え続けたいと思います。