こんばんは。
博多の街を歩いているとなんだか別次元で博多の街を彷徨っているようなおいちゃんをよく見ます。
こういう人達は働いているのかなあ?どうやって生活をしているんだろうなとか思って見ていました。
働いていないように見えるというレトリックで次の事実を考えることができます。
実際は働いていないにも関わらず生活できているというのは、債権あれば手元現金があるという福岡市の最近の現状からそれが行きすぎて、市民の財布の現金が博多を彷徨っているおいちゃんの財布に移転しているということになります。
たぶん博多の人は、ボールペンを使って使いきっているのにまだ字が書ける。バイクのガソリンが底をついたのにまだバイクを走らせることができる。とかの経験を普通にお持ちだと思います。これを延長して考えれば、財布の中のお札がなくなったのに朝起きてみると財布にお札が入っていたとかの結論を導くことができます。
こうした現象は福岡市のような情報流通が盛んな街での「情報(金銭のデータ)の歪み」を地域の金融機関が発生させていることが原因だと思います。
だらしない博多の街を彷徨っているおいちゃんの朝起きてみると「ああ、今日も財布にお金が入っているなあ。よく分からないからそのままでいいや。」という風にそれをやり過ごしているのでしょうから仕方ないかもしれませんが、金融という「情報を歪める」ことを地域の金融機関が行っていたらフリーライダー理論からいえば銀行マーケットから退場すべき存在ということになります。
福岡市の方はよろしければご参考にされて下さい。
頼むから寝かせて下さい…