ブログを書かなかった2年半くらいの間に

母の介護、看取り、その後の手続きなど

いろんなことがありました。

 

 

本当は順序良く書いた方が良いのでしょうが

その間のあれこれを

私の記憶を留めておく意味でも

時々書きたいと思います。

 

 

母は最期は寝たきりの要介護5の状態。

嚥下も力が衰え、そんな状態に自分で嫌気がさしたのか

一切食べ物を拒否するようになりました。

もう頑張っても良くはならない、もういい

その気持ちも十分理解できました。

 

 

そんな状況から2週間、

夫と外食後、うちに帰ってすぐに施設から電話がありました。

夜の電話、ドキドキしながら応答すると

「(母)さんがお亡くなりになりました。

すぐに来られますか?」と。

 

 

え???滝汗

危ない、危篤ではなく亡くなった???

 

 

私は混乱してすぐに夫と施設に向かいました。

 

 

そこにはすでに息を引き取った母が。

でもまだ温かくて眠っているようでした。

本当に亡くなったの?

 

 

施設へは

出来れば最期は立ち会いたいので、

危ない状態の時は

心電図を付けて、知らせてほしい

と希望していました。

 

 

完全に「病院での最期」の状態が普通だと思っていました。

 

 

母のベッドの横には心電図が準備されていましたが

まだ受け答えができ、薬も飲めていたので

様子を見ていたようです。

 

 

その夜の担当の介護士さんから母の様子が知れました。

「8時ごろに安定剤飲みますか?と聞いたら飲むっていうので

飲んでもらって、そのあと見回りに来たらお亡くなりになっていました。」と。

 

 

 

最初は「一人で逝かせてしまってかわいそうだった」と思ったのですが

母が望んだように「最期は眠るように亡くなった」

そして底抜けに明るい母が「悲しい別れをしたくなかった」

そう思うと母らしい最期だったと思えました。

 

 

それに自宅だったら亡くなってから発見されることも普通だろうし。

 

 

私は毎日のように施設に面会に行っていました。

その日も3時ごろ夫と会いに行っていました。

 

 

帰るときにいつものように手を握って「また来るね」と。

いつもは「ありがとう、またね、また来てね」

という母が「またね」とだけ。

そして私の顔をじっと見ていました。

ドアを閉めるときに母を見たら、まだずっと私を見つめていた

その光景をいまだに忘れられません。

 

 

それが母との最期の会話。

「また来てね」がなかった。

母には最期がわかっていたのかな。

最期に娘である私の姿、目に焼き付けていたのかな・・。

 

 

「最期に立ち会えなかった」ともし後悔しそうなら

会える時は会っておくべきなのでしょう。

「これが最後かも」っていつも思いながら。

最期っていつなのかはわからないですからね。