七時から先の夜には何もない シャッターに描き続けるドアを 我妻俊樹
この歌の上句では時間的な行き止まりを、下句では空間的な行き止まりを扱っているといえるでしょう。時間的な行き止まりの認識に対し、空間的な行き止まりにずらしてあがいている(開くことのできないドアを描いている)というねじれを、上下句の間に読み取ってもいいかもしれない。
七時に閉まってしまうシャッターの向こうに「七時から先の夜」にあるべきだった何かがあるのだとしても、シャッターに描いたドアは開かないので、そこへ行くことはできません。あるべき場所へは絶対に行けない、すなわち「ない」ということなのだという確認のための、まわりくどい行為がここではひたすら「続け」られているのでしょうか。
連作「水の泡たち」より。