小説で(ある程度は短歌でも)、私がしていることは人形遊びのようなことです。
人形を動かすにふさわしい空間を確保することが、小説を書くことのうち半分くらいの作業であり、何よりも優先されるべきことです。
人形の自由をけしかける種類の不自由さとして、その環境は確保されなければならない。人形の存在と無関係に魅力的である空間など必要ないし、動き回る空間をもたない人形は小説の登場人物ではない。
それがどんな人形なのか、そこがどんな空間なのかが問題なのではなく、人形が空間を動き回っているということじたいが大事なことです。人形が考え、しゃべり、歩き、眠り、立ち上がることが観測できる空間が必要です。それを邪魔するものは排除しなければならない。たとえ現実になくてはならないものであっても。
逆に、現実にあるべきでないものでも人形の動きをけしかけるなら何でもそこに置いてかまわない。すべては人形が決めることであり、しかしあくまでそれは人形であり、意思をもった人間などではないのです。人形の自由のために必要なものは、人間とはまるで違います。人間の尺度で持ち込むのではなく、あくまで人形自身に選ばせることが必要でしょう。意思のない人形がふらふらと動いていく方向に、道を敷いていくのが私の仕事です。すると人形は道を歩いているように見えるのです。