目線からはみだしている泣きぼくろ('82.3.10) 我妻俊樹
題詠マラソン2005、題「泣きぼくろ」より。
この「目線」はもちろん“上から目線”の目線じゃなくて写真にうつった人物の、顔が誰かわからないように入れる黒い線のことです。
私の歌ではよくあることですが、この歌は上句だけで意味的に完結しているようにも読めます。蛇足のように続けられる下句が、ここでは写真を思わせる上句に添えられた日付の位置にあり、また読まれるべき音数にくらべて字数がとても少ない。字というかほとんど記号ですね。ルビなしで誰でも七・七の音数で読めると思うんですが、それは短歌だからそう読むんであって、下句をぱっと見たらべつに読まずに一瞬で意味を理解してしまうはず。
その一瞬での理解が、実際に日付の入ったこのような写真を見たときに近い印象を、読む人に与えないだろうか。といったあたりを意識してつくった歌だと思います。このような写真(人物の目元が黒線で潰され、二十年以上前の日付を刻まれた写真)のもつ意味、を歌で語るのではなく、そのような写真そのものとして歌を提示したいという欲望があったのだろうと思うし、その欲望は今でもとてもよく理解できます。
追記
ここでいう“欲望”は視覚的な短歌への欲望みたいなものかなと思い、ということは横書きのネット環境にふさわしい短歌への欲望、のひとつともいえるかなという気がしますね。
横書き=視覚的である、といったことも含めた短歌の縦書き/横書きについての私の考えはこのあたりに書いてあります。
http://d.hatena.ne.jp/ggippss/20050129/p1