こうして連作のことを考え、且つまた自分でも連作をつくりつつ今日ひさしぶりに斉藤斎藤『渡辺のわたし』を読み返してみたら、すごくスムーズに連作として頭に入ってきたので驚きました。
今までは実はけっこう読むのが難しいなと思う歌が多かったのです。一首として独立して引いても面白さが伝わる歌、が必ずしも多いとはいえないところがこの歌集の(私にとって)難しいところで、そのことは斉藤斎藤という人に私が抱いているイメージとはちょっとずれていたわけです。こういう並べ方をしてくるとはまさか思わなかった並べ方、であり、その戸惑いはずっと解消されないまま現在まで来ていた。
それがさっき読んだ時には突然腑に落ちたというか、はじめて「読めた」という気がしました。
この歌集の歌の収まり方はまさに連作であって、連作以外のなにものでもない。歌葉新人賞受賞作の「ちから、ちから」が私のような連作音痴にもわかりやすく作られていたので、そのつもりでほかの連作を読みにいくとたちまち見失う。ということが起きていたのですが、今読んでみると「ちから、ちから」がちょっと親切すぎるというか、一首ごとに効果的に役割を果たしすぎというか、無駄がなさすぎるようにも見えますね。
この「ちから、ちから」と「父とふたりぐらし」という連作との構成が似すぎている、しかも後者は前者より散漫じゃないかという感想が私にはあったのですが、これも今日読んだら作者がやりたかったのはむしろ「父とふたりぐらし」のほうの緩い複雑さなんじゃないかと思えました。「ちから、ちから」は妥協というか、折り合いつけてああなったのではないかと。
なんだかそんな気がしましたです。