プレゼン | 喜劇 眼の前旅館

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短歌のブログ

歌葉新人賞には第二回から応募を続けていて、この賞は受賞者に歌集の出版権を与えるという賞だったのだから、私にとってこの四年間は、資金なしで歌集を出すためのプレゼン、に失敗をつづけた四年間だったということが言えます。
プレゼン、という意識が一番つよく応募作に出ていたと思うのは最初に応募した年で(応募作タイトルは「ニセ宇宙」)、このときはそもそも連作で応募するということの意味がよくわかっていなかった。たしかに短歌には連作という単位があるらしく、ここでもそれが求められているらしいと何となく感じてはいたものの、そんなものをつくったことはない(読むときに意識したこともない)のでつくれはしない。だったらかわりに「ミニ歌集」のようなものを提出することで「私に出版権を下されば、こんな感じに面白い歌集ができますよ」ということが示せればいいのだろうと思い、未だ書かれていない連作(あるいは歌集の「章」)からそれぞれのイメージを伝えると思われる歌を一首から数首ずつ抄出して並べていった三十首、というような脳内設定で応募作をまとめた記憶があります。
翌年からはさすがにそんなまとめ方では通用しないと(短歌界のしきたりを少しは学習して)思ったものの、そんなふうに並べた三十首で候補作に残ったという刷り込みからはとうとう最後まで自由になれなかったようです。つまり、私でも年間ベスト30(に近いもの)を並べれば候補作に残れるのだという刷り込みにより、一から連作を構築するという発想に取り合わない空気が自分の中に生まれてしまったところはある。
私は自分のつくる短歌にまったく自信がないということではないけれど、自信の持ち方にかなり限定のついたところがあって、その限定をはみ出して何かをするために必要な過剰な思い込みのようなものをうまく短歌に持ち込むことができない、この四年間だったということでもあります。要は「これに達していれば上位に残れる」などという物差しをあてがって歌の選別をするような者にろくな(読むに値する)連作はつくれないのであり、その自覚があるからまたそのような選別の態度に収まるのだとも言えそうですが、物差しの正確さ(?)が功を奏して年に一度だけ一定の達成感(と不達成感)を得られるかもしれない場というのは失われたのですから、私の短歌とのかかわり方にも変化がみられないはずがない、ことは期待したい。
まずは五十首~百首くらいの連作をつくっていきたい(それぞれの分量に応じた作風の変化をたしかめたい)気がしますが、つくったとして、じゃあそれをどうしよう。