明日は歌葉の公開選考会です。
私が歌葉新人賞の募集&選考をリアルタイムで追うようになったのは第二回からですから、つねに自分が候補として審査される立場に置かれながらそれを見ていたことになります。
公開されているほかの候補作品について、自分も同じ立場にいながらあれこれ書くためには必要な注意深さを私は欠いていると思うので、何か失礼なことをいうといけないなーと考えてあまり触れずにきたのはもったいないことでした。
今年の候補作で惹かれるのは黒崎恵未さん「ふたこぶらくだ」、フラワーしげるさん「惑星そのへん」、市川周さん「午後の右翼手」であると以前書きましたが、加えて中田有里さんの「今日」もいいな、とのちに思えてきました。なんかちょっと柴崎友香っぽいというかな、描写のありかたが。そんなことをちょっと思いました。
で、はたして今回、そもそも受賞作は出るのか。今年で終りなのに受賞作なしっていうのはどうなのか。もしも私がひとりで選考するとしたら(意味のない仮定だが)たぶん「ふたこぶらくだ」を選ぶ可能性が高いと思うけど、その理由は、作品が作品のもつ枠以上の大きさに見える瞬間が「ふたこぶらくだ」にはあるという気がして、候補作中いちばん華があると思ったからです。
動いているものをフレームがとらえた、という感じが、時にフレームから被写体が切れたりピンボケになったりしつつも、かえってそのことが短歌がカメラとして振り回されていることの生々しさを伝えていると思う。
黒崎さんは日記の文章などにそういう、フレームからばしばし切れてしまう目の離せなさ、のようなものがある人ですが、それが短歌作品にはあまり出てこない気がしてたので、この作品を読んだ時は「とうとう短歌にも…」と思いました。少し二階堂奥歯さんを思わせるような「崖っぷちに立つ乙女」的なものを感じる歌人さんです。
選考会が終ったあとだと、また気が抜けて書かなくなるだろうと思ったので、今日のうちに書いておきました。一種のアリバイ作り的な意味も含めて。
それから、こちらも大詰めの裏葉新人賞。
私の候補作についても、非常にありがたく面白く刺激的な議論を読ませていただきました。
短歌における連作とは何なのか、という誰もおしえてくれない問題についても多くの示唆をいただき、おかげで数日前にはほぼ一日で三十首近い連作(のようなもの)が書けてしまい「俺って普通に連作つくれるじゃん」と唖然としてしまうような事態があったり。
裏葉の觜本さんと光森さんに感謝。
そして歌葉に、感謝。