平成25年4月下旬(昨年を振り返ってます)。

私は声を失った。
気管に穴を開けたことで、窒息のリスクはなくなったが、空気が喉の穴を出入りするため、声帯を通らないからだ。実際、自分の喉に穴を開けてみて始めて理解できた(笑)。

ただ、この点については、あまり悲観していなかった。
先生から、一週間したら「話せるカニューレ」に取り替えてあげるから、と言われていたからだ。一週間辛抱すればまた話せるのだ。

ちなみに、手術直後つけていた「話せないカニューレ」がどんなものだったかは、この一枚の写真を除いて存在しないので、よくわからない(後に何でも写真に撮りまくるようになる私だが、この時期のカニューレだけは、見るのがイヤだったのか怖かったのか、とうとう撮らず仕舞いだ)。



血痰がしばしば出るため、頻繁に看護師さんがやってきては、痰の吸引をしてくれた。これが結構辛い。初めのうちは、どこをどのように吸っているのかわからなかったからだ。また気圧調節部分(?)を吸うとかなり痛いときがあってどきどきだった。

会話できないので、ホワイドボードとかがいるかと思ったら、病院で「磁気ボード」を用意してくれた。これだとインクの粉が散らからないのでとても使い勝手がよかった。そのため、後に磁気ボード(その名もジッキー(笑))、自前でも購入することになった。



手術前は相部屋だったが、手術後はナースステーションに隣接する特別な処置室で、事実上の個室だった。私は、相部屋でいいと言ったのだが、結局、退院までの約2週間、この個室待遇だった。差額ベッドとかは保険でまかなえないので困ると思ったのだが。実際には、常時監視が必要な重度の患者として扱われていたらしく、保険の適用内だった。

私は単に喉に穴があけられただけだと思っていたが、よくよく考えてみると、正体不明の腫瘍で窒息しそうになり喉に穴をあけ、しかも全身に腫瘍が散らばっているのだから、耳鼻科としても整形外科としても、かなり特殊な患者という扱いだったのも、今となってはうなずけます(笑)。



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