崇神天皇にロックオン | 縄文風、自然でロハスな暮らし

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AD284年を、崇神天皇5年と仮定する。

理由は、崇神5年に疫病が大流行し、死者多数。

崇神の娘も、病気にかかった。

 

中国でも284年に災難相次ぎ、疫病流行し死者多数だった。

遼東半島では、高句麗が台頭を始めた。

西ローマでは、西ゴート族の横行が激しく、絶対王政と4頭政治に強化。

ヨーロッパでも、食料不足でゲルマン民族が活動を始めた。

世界が、変動し移動する時代だった。

 

倭でも、石上神宮のたたり、三輪大物主のたたりだとか。

天皇の娘が病気にもなり…。

宮中の倭國魂大神とアマテラスのパワーが強すぎるとか。

いろんなお告げがあって、

 

 

石上神宮は、ニギハヤヒの子孫の、イカガシコオが祭る。

           …イカガシコオは、崇神天皇の叔父。物部の祖

大神神社は、大物主オオタタネコが祭る。

…たぶん、大国主。配神は、大己貴命・スクナヒコの神。

…出雲系と深いつながり。

  もともとの、三輪山だけではないと思う。
大和神社には、宮中から出した、倭大国魂神

 倭国造の市磯長尾市に祭らせた。

 主祭神は、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)

  配神は、八千戈大神と 御年大神

 つまり、大国主と異母兄弟の大年神で、父は、スサノオ。

 大国魂は、スサノオであり、その父のイザナミでもある。

 淡路の大和大国魂神社の主祭神は、イザナミといわれる。

 

天照大御神は、幾度か遷宮したのち、伊勢神宮に治まった。

この時期起源の神社はすごく多い。

 

 

本当は、神頼みだけでは、全て治まるわけがない。

しかし、人心掌握的には、成功した。

それぞれの信じる神に、頼ればいい。

神頼みできる4つの祖先神が、与えられたのだ。

…いつの世も宗教は、政治を強化するものに使われる。

 

 

崇神10年には、北陸・東海・山陽道・丹波に、

四道将軍を派遣して、国の争乱を治める。

不思議なんだけど、山陰道・近畿・四国・九州には、派遣なし

 

 

これで何かわかりそうな気がする…。

 

 

つまり、初期大和政権は、

出雲系山陰道と近畿四国だったかも?

九州もその中に入ってる。

 

4人の将軍は、崇神天皇の親族。

この時代、天皇といえども、戦う指導者だった。

吉備津彦は、祖父の異母兄弟。大叔父。

大彦命は、父の兄弟、つまり叔父。

武ぬな川別は、いとこ。

丹波道主命は、同母兄弟の子ども、つまりおい。

 

 

うまく国が治まって、崇神12年 戸口を調べて、課役を課す。

心のよりどころを与えて、騒乱を抑えて、課税する。

見事な政治的手腕…ではないか??

と半島の人も思ったようです。

 

 

崇神は、

在位は68年、享年120歳とも168歳ともいわれる。

…168歳というのは、ありえませんが、

安定長期政権だったのは確かです。

その証拠に、噂が半島にも届いており、

 

任那が朝貢に来たり、

新羅の天日槍が、渡来した。

 

 

 

天日槍は、ツヌガアラヒトともいわれ、但馬で結婚した。

5代目の子孫が、皇族と結婚し、神功皇后が生まれた。

天皇家の中に、こうやって外国の王族の血が入ってる例でもある。

…渡来人と天皇の結婚は、一度豪族と結婚していると確かめようがない。

 

当時大陸は、漢が滅び戦争が続いていた。疫病も。

難民多発の時期!!

 

高句麗が台頭し、朝鮮にある漢の楽浪郡帯方郡も滅ぼされた。

百済新羅が戦争し、伽耶と新羅の戦争も起こり、

いろんな国から、日本への難民が3万人もあったらしい。

 

 

難民というのは、貧しいもののように感じるが、

難民は、金も知識も行動力もある人?

地位のある・金のある・知識のある・技術のある者が多かった。

 

現在でも、移民を受け入れる国は、医者や研究者などライセンスがある・技術がある・経験がある・金のあるものが優先されていると思う。

 

金のある渡来人の連れてくる人は、

自分に必要な知識や技術を持っていた…と思う。

 

漢に次いで先端の知識・支配体制・技術があっただろう帯方郡・楽浪郡。

郡の支配階級は、倭と長いつながりがあった。

倭が中国に朝貢する時は、楽浪郡を通じて行われたからだ。

 

行くところが無くなりそうな郡の官吏たちは、

どっか外国に、コネを探したんじゃないの??

というわけで、どこからの渡来が多かったかなんてわからない。

しかし、3万人近い渡来人があったようだ。

 

天の時期と、

渡来人により、倭国はどんどん変わってゆく。

 

 

そしてもう一つ、

崇神天皇の大叔母が、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)

叔母さんが、倭迹迹姫命(やまとととひめ)

ヒメという字には、日女・比売・媛いろいろあるが、

姫は、最高位。女王級を意味する。

 

倭迹迹日百襲姫命は、

     三輪神と結婚した巫女的姫。

聡明で、予知能力があり、神力があったようです。

 

つまり、

倭迹迹日百襲姫命は、卑弥呼ではないかと仮定する。

姫巫女…ひめみこ…卑弥呼

…昔はそう思ってなかったんだけど、妙に時期が合う

…事件もあう。予知能力もある。

…ひめみこと言ってるうちに、ひみこになりそう。

 

 

卑弥呼在位期間が、約60年と古代では長すぎる。

やまととひめが、そのあとを継いだのかも知れない?

彼女も、予知能力があったらしい。

 

二人の生存時期と、重なるし、

魏に使いを出した時が、巫女交代時期?だったと思う。

 

その次の巫女は、渟名城入媛命。

崇神天皇の娘。 

髪が抜けてやせ細ってしまったので、対策を考える。

 

 

天照大御神を外に出すことになり、

初めての斎宮となったのが、崇神天皇次の娘、鍬入姫命。

彼女が、トヨだったのではないかと… 想像する。

 

崇神5年が、284年ごろと仮定すると、

四道将軍の活躍と、卑弥呼の世界が浮かぶ…。

 

しかし、

崇神天皇が、紀元前30年ごろとすると、

それはまた、別の世界となる…。

 

… 崇神天皇5年が、AD284年ごろと仮定して、続けて考える。

 

※一つ気が付いたこと。

 中国が 国替わりの時に、朝貢

 王が変わった時、代変わりにも、中国に朝貢。

 倭が代替わりの時に、朝貢を受ける。

 

※次の、『古事記 人世篇』三浦浩之著を注文。