りさちの活動休止が発表されて、正直言って私は、なんて言葉を発すればいいのかわからなかった。
何を言っても自分本位になる気がしてしまって、何を語ってもりさちの負担になってしまう気がする。りさちが読むとは限らないけど、読む可能性があるのならそれを想定しなければならない。
りさちのためになる言葉はなんだろう?
私はもう28年生きてきて、りさちより10年も長く生きていて、さまざまな苦難を乗り換え、結婚し、自分の仕事については語るべきことがあり、いろいろの理不尽を体験し、いろいろな幸せを受けてきて、りさちほどではないにせよそれなりの人生経験を積み、たくさんの本を読んできた。
それにもかかわらず、こんなときどんな言葉を使えばいいのかわからない。それにも落ち込んでいた。
私の人生ってなんなんだろう?
りさちのブログにコメントしようにも、自分が何か認められたいような邪な考えがありそうで、怖くなって、それ以前になにが、どんな言葉がりさちのタメになるのか考えるとわからなくて、こんな状態なら自分は何も言わないほうがいいと思い、静観した。
ファンのみんなはコメントしていて、そのどれもが時間をかけて言葉を選び、りさちのことをそれぞれの尺度で本当に思ったいるんだなって伝わってきて、おれはりさちではないのに、なんだか泣けてきた。
それでよかったのだ。
おれは、自分がJuice=Juice familyでよかったと思った。
翌日、メンバーもブログでりさちについて言及した。
誰も彼もが自分のあり方でもって りさちのことを想っていて、それでまた泣いた。
おれは、このグループを推していることを誇りに思った。
特に松永里愛さんのブログがすごかった。
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まず出だしのここで、これを言えるのがすごい。
ふつうは「はやく治りますように」とか「がんばって!」なんて本心から言いたくなるものだ。
それなのに、「上手に手を繋いで歩いていける」という言葉をなげかけている。
まだ10代の女の子が。
この言葉を出せるのって、思考が立体的というか、客観的というか、とにかくスッと出てくるものではない。
りさちのこと、不調の特性、それらを複合的に、客観的に考えないと出せない言葉だ。
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りさちのことで頭がいっぱいで、りさちを心配する自分を心配することを忘れていたのは私だけではないはず。
里愛さんはファンのみんなを気遣えて、それにも感動した。
りさちのことが好きならりさちを心配するのは当然で、さっきの私みたいに、私なんて、と思ったり自分の無力さに落ち込みもするだろう。
その、どこにも触れることのない痛みに触れてくれたのが嬉しかった。
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ありますよね、そういう日。
なんならもう、毎日戦ってるよ。
このあたりからはもう、「里愛名言」として日めくりカレンダーにしてほしいくらいだ。
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りさちへの言葉であり、ヲタへの言葉であり……。
里愛さんは武道館のときに
「自分にはJuice=Juiceしかない」
と言っててさ。
それを経てこの言葉なんですよ。
私にとってもJuice=Juiceがすべてであり、メンバーにとってもすべてなんだけど、人生においてきっと、プラスαの比率になるほうが大きいのだろうな、という気はしている。
それはすべての物事がそうで、このプラスαの積み重ねが人生における豊かさと質の正体なのではないだろうか。
誰かのために生きるのは美しいかもしれないけれど、美しさってそれだけじゃないし、もっと美しいものはきっとある。
そうだと思う。
短く簡潔な言葉で最大のことを伝えるのって、私のくだくだしいブログを読んで貰えばわかるとおり、とても難しいことだ。
ギャルのマインドとくだけた文体で一見ふざけているように見えるけど、何を言いたいのかははっきり伝わるのってすごいことだ。
文脈も破綻してないんですよ。これはいつもそう。
小説を書いてください。
アップフロントさんへ。
松永里愛さんの名言日めくりカレンダーを出してください。
よろしくお願いいたします。
たぶん難しいから、個人的に作ろうかな。