カラダのレシピ「肥毒と宿便」 |  金太郎のブログ

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食や健康、日々の色々を投稿しています。
・自然栽培・有機栽培・生産者グループ直売所ビオファ責任者
・OSFA(オーガニックスーパーフードアカデミー)主宰
・がん哲学外来 メディカルカフェBIOFACH責任者

カラダの中にある奇妙なものをカラダは知っています。

潜在意識とカラダは、思考を無視して改善に努めます。

心臓を動かしたり、呼吸するように無意識で行われる自然治癒。

人間都合の「知識」でこの生命活動の邪魔をしてはならない。


地球の宿便


これです。
化学物質を含んだ部分です。

化学肥料や農薬、または工場の煙や自動車から大気中に撒かれた化学物質的な層です。
土中には、雨に混じって土中の一定の深さに層になったり、部分的に固まったりしています。

この場所では地上より20センチ以下のところですでに肥毒があり土が硬くなっています。

一枚目の写真はこの赤丸部分を抜き取った写真です。

まるで人間でいう宿便のように、本来の自然な代謝が行われなくなります。
地温の異常、水分バランスの異常、微生物環境の異常など、
肥毒を放置し、このまま作物の種を撒いたらどうなるか?

土壌の代謝不良


水は川へはけていくか、速やかに地下へ落ちて、常に流れていきます。
動かない水は腐敗しやすくなります。

水はけが悪く雨が降れば洪水状態。

土中にも水が溜まるので、腐敗が起こった場合は、菌が多様に存在できなくなり、菌と共生関係にある植物が生活する環境ではなくなります。

その環境で育った植物はこのように、花を咲かせ実をつけ、種を残すことなく、虫たちを通して土に返還されます。
肥料などにより硝酸態窒素を多く含んだ野菜に虫たちが群がります。

本来はエンドファイト(植物共生菌)によって土中のミネラルや、水分、窒素が植物に供給されます。
菌たちは、植物から澱粉などを取り、キノコなどのコロニーを形成します。
これは、わたしたちが存在する前から決まっている仕組みで、それを私たちの知識が邪魔した結果、
自然側が正常ではないと的確な判断したということになります。


薬学と治療


正常なバランスで健康に育った植物でないものは、それを食べるに値する生き物と、そうでない生き物がいます。
人間の場合は、窒素過多になった野菜はカラダにあわないので必要ないわけです。
しかし、そこは無視です。

人間の学問は自然のトータルの仕組みを無理やり分解して分野にわけてしまします。
そして、虫だけ研究された薬学が殺虫剤です。

いわゆる農薬です。
虫たちだけを駆除します。
その結果、野菜そのものは、自然側が正常ではないと判断したものを
わたしたちが食べることになるわけです。

わたしたちは、野菜にかかる農薬を敵視しがちですが、
問題はその前にあるのです。
土壌や自然の代謝不良によって、土に還るはずの偏った植物を食べているわけです。

農薬にかかわらず、手で駆除した場合も、野菜自体が正常になるわけではありません。

人間も同じです。
薬や食べ物や手術によって病気を取り払ったところで正常にもどったとは言えません・・・



自然と自然を結ぶ


自然環境に対して人間が手をくだすことが自然破壊か?
そういうわけではないんですね。

なにより人間も自然の生き物ですから、生かし合いの仕組みに貢献できるわけです。


圃場(ほじょう)に深い溝を掘ります。
これは、人間でいうところの癌などを切除する行為とは違います。
何かを土の中から取り除いたわけではありません。

この溝に、圃場の目の前にある竹藪から竹をもってきて入れます。

竹の上から笹や落ち葉をかぶせて完了です。
上を歩いても大丈夫です。

地上も土中も同じです。
肥毒層によって孤立した部分を溝を掘って解放します。
地上と同じようにどこまでもつながった土壌の世界に戻ります。

竹には抗菌作用があります。
ある一定の種類の腐敗を催す菌類は、竹を嫌うわけです。
どのみち、水はけのよくなったこの甫場は住みにくいでしょうから

甫場を空き家にしてしまいます。

そして、竹には乳酸菌が共存しています。
ある程度密閉されると乳酸菌が活発になり発酵が始まります。
発酵ということは同時に乳酸菌が増えていくことになります。
肥毒の壁が敗れ、解放されて世界と繋がったこの圃場に新しい住人たちがよってきます。

結果的には、土中に分散している残った肥毒も、微生物たちが分解してしまいます。

人間が間違えた知識で続けた化学療法的な栽培による圃場の病気も、
自然のチカラで健康をとりもどしました。

その上では、土中の健康度に比例した健康な野菜が実っています。
水や肥料は与えていません。

私たちが食べるに値する健康な野菜は、食べればその味でカラダが気づくので、
ほとんどの方が食べれば直感的に理解できます。

 


人体に照らし合わせた場合


溝を掘る作業=手術

ちょっと違います。
まずは、先に説明したのは、ほんの一例であり、圃場によってやり方が違います。

ワタスらの仲間が行っている甫場では一定に定められた「やり方」「栽培」「農法」といったものは実は存在しません。

子供の頃、砂場に川をつくって遊んだように、
土に溝を掘るのは土あそび的発想です。

街の中でゲームをしたり、授業を受けて知識を詰め込むより、

海で素潜りしたり、山で木登りしたり、土を掘って遊んだほうが刺激的です。

または、猫の毛づくろいのようなもんです。

元々、研究してやったわけではないのです。
先に書いた微生物や肥毒の説明は、どちらかというと結果から見たというに等しいのですが、
圃場の周りを見渡したときに、周りに存在する自然と自然を融合させてみるとどうなる?
あーなる、こーなるを楽しんでみました。

しかし、根拠はないものの直感的には、これで自然の野菜というものが育つイメージはあります。

溝を掘る=遊び

といった方が、自分たちの発想では違和感がありません。

それでも、現代の科学的な根拠からなる近代農法と比べれば、
収量2.3~2.5倍といったことがおこっていますので、


しかし、自分が病気になった場合に、根拠のない遊びができるだろうか?