皇居から靖国神社へ | AgricultureDesign(アグリカルチャーデザイン) 日本の未来に残せるモノを

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3月30日(土)に東京都千代田区千代田一番一号に行ってきました。

 

本当は台場の船の科学館に行きたかったのですが、なんと建物老朽化のため閉館していました。

 

いつかは行ってみたいと思っていたのに、遅すぎました。

 

そこで急遽、皇居の北の丸公園も行きたかったのでまずは東京駅下車。

 

そぞろ歩いて二十橋まできたところ、乾通りの一般公開とかされている様子。

 

そのまま流れに任せて行ってみることに。

 

計画性はないですw

 

 

やっと桜が咲き始めたくらいですが、この皇居乾通り一般公開は期間限定のようでした。

 

宮内庁公館?を横目に見ながら、ちょっとだけ写真撮ったり。

 

半袖Tシャツでも問題ないくらいの日射しでした。

 

そして乾門を抜けて北の丸公園には武道館

 

 

おおーーこんな近くで見たのは初めてかも。

 

そしてそのままこれも一度は行ってみたかった靖国神社へ。

 

午前中の10時台なのに結構な人出。

 

神社仏閣の建物は写真撮影しません。

 

祀られている方々に手をあわせ、遊就館へ。

 

大人一人1000円。

 

 

 

エントランスと売店までは無料で入れます。

 

零戦戦闘機とC56蒸気機関車が飾られていました。

 

2時間以上かけて中を見学しました。

 

 

当日は「兵食」という兵隊の食べる食事や食料についての特別展示もありました。

 

そこにあった第二次世界大戦の従軍した兵士の方々の家族などに宛てた直筆の手紙と、手紙の内容を書き写したテキストが展示せれていました。

 

全部で10人分はあったかと思いますが、一つ一つ読みながら見て行きました。

 

3、4人まで見たところで、ある戦闘機パイロットの手紙を読んだところ、こんなことが書いてありました。

 

その方は餅が好きなんだそう。

 

家族に宛てた内容に、「私は次の正月の餅が食べられないだろうから、靖国神社に持ってきて欲しい」と。

 

その頃は戦闘機による特攻が始まっていて、その兵士も特攻任務に就くことを覚悟していたためにそのような内容の手紙を書いたんだろうと解説されていました。

 

年齢は25歳にも満たない方です。

 

それ以上の手紙らを読むことが出来ずに外に出てしまいました。

 

 

昭和20年頃と80年経った現在では日本の状況も世界の状況も全然違います。

 

あの時は戦争中です。

 

現在のように自分の意見を好き勝手に言えない中、彼らなりの(検閲がある中で)言える事、言いたい事を手紙で伝えるしかなかった。

 

私自身はそんな人間味あふれる彼らを英霊とは言いたくないです。

 

たまたま生まれる時代が違う同じ日本人として見てあげたいと思っていましたが、よりそう思えました。

 

 

犯罪者でも英雄でもなく、戦争に翻弄された一人の若者に見えました。

 

日本という国の歴史のなかで、彼らなりの人生を精一杯全うしたであろう先輩たちです。

 

彼らがそうであったように、私もそうありたいです。

 

 

毎日、先立った家族に手を合わせて来ましたが、これからは彼らの事も思いながら手を合わせようと思います。

 

合掌