頑張るのをやーめた! なんて今に始まったことじゃない。
昔々からある。
私がそうである? あった(過去形)
人と違ったことをしてる一種の優越感(俺は他とは違うんだぜ)や、隔世感を投げ捨てた傾奇者にでもなったかのようになっていた。
別な言い方をすると、負け惜しみを言うのも癪だし、何か勝者感を得ることで自分の存在意義を保ってたとでも言うのか。
今思うとなんとも痛い男であるwww
さてそれじゃ今振り返って、頑張るのをやーめた! で得をしたのは誰か。
今さら言うまでもなく、私ではない。
間違いない!!!
競争を自ら降りた(脱落した)のだ。
競争人数の母数が一人減ったという計算になる。
出来損ないの私が一人減った位で、その競争が有利になるわけではないが、得をしたのは競争を諦めなかった人たちである。
長く生きてくるとそれは分かる。
勝者は、最後までしがみ付いて、其処に居る者の中に必ずいるのだ。
脱落した者にその権利は一切ない。断言する。
それを理解した上で、頑張るのをやーめた! ならそれはそれで良い選択のうちの一つになろう。
私はそうではなかった。
ただただ逃げただけ。
また、他にやれそうな道を見つけて、そこで頑張れたのなら違う人生があったはずだ。
振り返った時、何も残っていなかった。
零ではないが、限りなく零に近かった。
しかし、自分を卑下したところで脳みぞを病んでしまう(精神を病む)だけなので、そこは楽天家の血液B型。
「悪いのは私本人、諦めて受け入れましょう」ってことでまるっと納めた。
頑張る事がすべてではない。
頑張らないことで大小は別にしても得られるもの(利益)はある。
しかし、頑張らないことで受ける不利益も同様にあるってことは脳みそで理解しておくべきだ。
予めそうしておかないと、幾年経た時に、間違った道を選んでしまったと自覚した時に、脳みそがやられる。
精神を病む。
絶対壊してはならない脳みそを自ら壊してしまい、再起不能になる。
人はみな違う。
踏ん張れるとき踏ん張れる人もいれば、そうでない人もいる。
当然だ。
皆、違うから。
それが個性。
しかし、他人より踏ん張れないけれど、逃げない人も居るのは事実。
自分が何をどう選択するかは他人には決められない。
得をするのは他人であっていいのか?
それでは
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