わたしのやる仕事 | goldenblue

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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

わたしが大学生の時に、カウンセリングを學びだしたのは、小学生の頃から母との関わりに困難を感じていて、その自分自身の苦しさを何とかしたいともがいている中で、出遇ったことでした。最初から仕事にしようとして始めたことではありませんでした。
 
それでも何十年も続いていると、それなりに學びから乗り越えられたものを得たり、アウトプットする學びの時期に来たな、と感じたりします。
 
様々な試行錯誤の過程で、座禅、キネシオロジーや瞑想などにも出遇って来ました。
 
エジプトで旅しながら、わたしのやりたいことを見つめる中で、「人生の甦り、蘇り」のリトリートをしていこうと思いました。土地のパワーに助けられながら、瞑想でその力を感じ、生き直していく旅。
 
強力な力が流れ込み「甦り」を感じましたが、まだ安定するには時間がかかりそうでした。一旦日本に帰って磁場が狂ったら、自分が弱くなるのが予想つきました。
だから、早いうちにアクションを起こして、もう一度エジプトに戻る予定でした。ところがコロナ騒動で空港が閉鎖。予想もつかない事態になりました。
 
更にコロナ騒動なんて思いもしてなかったから、判断ミスで、確保していた生活資金までも失う状況に陥り、精神的にも追い詰められていきました。経済的臨死体験です。
 
 
生きているのが辛い
(生かされていると言ったとしても…)
存在しているのが苦しい
生きていくのが苦しい
(生きる覚悟が無いと言えばそれまでですが、覚悟にならない辛さか)
 
ジッとりとして、ベッタリした想いが底に流れていて、どうしても拭えませんでした。
それは自覚がある時も無い時も、長いこと居座っていました。(石川町で慶太さんのセラピーを初めて受けた時から、分離感の苦しみ、同じこと言ってるね)
 
(前回この想いに駆られた時は、自分の感情が核となって憑依に近い霊障が起きました。1年半以上前ですが。やはり、霊障を引き寄せる元の感情がその人にちゃんとありますね。

悪化すると、憑依しているエネルギー体の感情にまた別の存在が引き寄せられ、何十体何百体と憑依している場合は、憑依体も憑依されていることに氣が付いていないと言われますね。構造がよく分かります。

憑依したまま死んで、まだまだ続く場合もあるみたいですね。話が逸れました。)
 
久米島のキネシオロジー合宿の時にも、デモンストレーションに出た際に、潜在意識が「これまでの人生で一度も楽しかったことが無い」みたいなことを言っていると、慶太さんが釣り上げていました。
 
ここまでしつこく、重苦しのは、集合意識の影響を受けていたのも一因でしょう。(瞑想指導でも指摘されました)
世の中もコロナ騒動で、何百年、何千年の集合無意識に凝り固まっているお金の不安、欠乏感、生活苦、焦りなどの意識層に引っ張られていたのでしょう。
 
ある日、愛先生の動画を見ていて、衝撃が走りました。これだ!

わたしは自分の土星の課題に取り組みたいんだ!

「実は人生の悦びがそこに発見できるんです」
「生きていること、悦びが芽生えてくる」
「生きている喜びすらリアルに感じられるようになってくる
「人生の本当の喜びを与える星」

で、わたしの12ハウス牡牛座土星が、何を課題としているのか、まだ朧げではありますが。
 

愛先生と一緒の写真。
首都圏にいると、人氣の先生に偶々逢えちゃったりするのがラッキーと思いました🤞)
 
ここでやっと冒頭の言葉に戻るのですが、こんなわたしに他者の人生の甦りに寄り添う仕事なんて資格が無いでしょう。それでも、やろうとするのは、自分の問題として、目を背けることはできないし、その取り組みは決して他人事になることがないから。
 
エジプトのシナイ山に行き、「カタリナ」や「メナス」などアレクサンドリア出身の聖人がになっていました。
何故そのキーワードが来ているのか理由が分からずにいましたが、先ほど「カタリナ」の示している意味が分かりました。
 
カタリナさんは、キリストと霊的に結婚した方です。
「奇跡のコース」を読んでいて目に留まった一文。
 

そうか、わたしは神様と喧嘩していたのか。それが男性に投影されるから、男運が悪かったんだ。だから、満たされず寂しかったんだ。
 
諸問題の前に、キリスト意識と直接繋がって助けを乞い、神(創造の源)と和解するしかないということだったのでしょう。それが結婚と表現された、光の交わりなのかなと思います。
 
(カタリナさんもメナスさんも、受難の人。
受難繋がりで、ファティマの3人も写真に撮りました。
オリジナルカードを作った花那さんの“受難”に対する見方が興味深くて、“そこで違う選択ができるよね”って。

カードを引くのは、今自分が行動の選択をする時。
過去の聖人の歴史的事実や結果に目を止めるだけでなく、異なる選択による結果の新たな可能性、

受難を選択しない聖人!”

と言ったら良いのかな、それを自分の人生に表現してみる。
時代も進んでいます。苦労を選択しない道もあるのですね。自由なんです。

もう一つの見方は、彼らが完全に魂の自分に戻っていたから、肉体の個の自分に、もう既に執着が少なく、受難の道の方が、おかしな世の中自分を抑え込むよりも、自然だったのかもしれません。
また話が逸れました)

神という言葉は、センシティブかもしれませんね。今まで自分は神さま大好き人間だと思ってきましたが、神々と呼ばれている存在の中には地球の歴史上では宇宙人の場合もあり(エラーやバクもありますね)、創造の根源(創造主、創造神、原初)とはっきり分けた方が分かり易いかもしれません。

六道輪廻」の伝えるすごいところは、神々の天部でさえも、輪廻の循環の中にあることを教えてくれていること。

だから、「神」とわれわれが指し示しているのは、定義が混乱して重複しており、神話にでてくる神々や六道輪廻の天部の神は、人間より優れた能力のある部分を持つ存在も含まれていて、それは単に地球人とは別の生命体のことで、神と呼ぶと創造神と区別がつかず誤解のもとになっていると思います。人間の精神史の軌跡を感じますね。(ケイシーのリーディングにも前世が神の人の話がありました!)また話が逸れました。
 
キリスト意識は、外なる神ではなく、わたしに感じられるキリストという「音」の、光の個性、光の一つの要素、性質、と言ったら良いでしょうか。
 

「Mother Healing」のカードが珍しく出た時、わたしの寂しさは、母と父(わたしの祖父)との関係の影響を雛型として受け継いでいるのは分かりました。母は厳しい父に、優しく良い子良い子して撫でて欲しかったのでしょう。それが手に入らなかったから、母がわたしに接する時も、険しさが前面に出たのだろうと思います。
 
そのような自分のものでないエネルギーの型から離れる、と決めた後、カタリナの氣付きが続いてやって来ました。有り難いです。
 
p.s.
専門でないからこそできる仕事もあります。
以前にも前職のことを書きましたが、ギリシャの顧客担当をしていた時、お客様さんは海運産業のプロ。
わたしの所属する会社のグループは、船の機器のプロ。
わたしは専門技術のことは素人。
それでも門前の小僧のように、一生懸命に聞いて伝えました。
橋渡しの仕事をしました。
どちらにも属さないからこその仕事だったと思います。
世の中には、その様な仕事がたくさんあると思います。
そこに、第3の発想も生まれると願っています。
 
p.s.2
ERの記事を熱心に書いたのは、そもそもERから感じたものが、魂というか、生命というか、直接の体感、実感だったので、理論や理屈を後から聞いて、何か全体像というものを自分の中に構築したかったのかもしれません。
 
もしかしたら、全体像は必要無いのかもしれませんね。


20210105一部加筆