#AGNESDREAMの沿革と足跡 | 小林春夫・犬舎代表の一言コラム

小林春夫・犬舎代表の一言コラム

agenesdream 元犬舎代表の小林春夫 一言コラム。
犬にまつわること、ビーグル犬のブリーダーとして語ります

 アグネスドリームは1970年代末にオス1頭メス1頭のビーグルから始まった。その数年前に町のショップから迎えた子が数日後にジステンパーを発症して大変な労力と金銭がかかり亡くなった。そんなことがあり無知な者が愛犬の友を頼りに子犬を探すこととなり、迎えた子が2頭のビーグルであった。この子達は全日本狩猟犬クラブの登録犬であった。若いころから思い描いたタイプの子ではなかったが2年後にこの組み合わせにてケネル名HOSEIでブリーディングを試みた。子犬が大きくなるに何だか思い描いた子のタイプではなく期待を裏切るものとなった。どうしても納得がいかないまま悩みこの子達を処分することを決めたのである、それからは毎日自身の理想を持つ犬探しが始まったがなかなか現実は恵まれない状況である中で、1頭のオスの子をブリーダーから迎えた、ドックショーと言うものがある事は知っていたが、当時のJKCのショーは今ほど活発ではなく少数の犬達で構成されていたがその中にこの犬をエントリーさせてチャンピオン完成させた。この頃質の良いオス犬がインポートされた、AMCH RJBダンである、その後にこの子犬に巡り合うことになる。それ以前に外産チャンピオンを多く持つショップから迎えた子を何とかチャンピオン完成させて出産させたが思うような子犬ではなくこのオスは他人に出してしまう。こんな回り道をしながらの無我夢中の学びであった。1980年代になりカリフォルニア州LAでのショーを見ることになり、圧倒される質の良い犬達を見て感動が収まらなかったのであるが、これを機に全ての犬達を処分して新たな血液の導入を図り一つの血を引く犬達をインポートした。1980年末の頃に始めてUSAのアリゾナ州でのナショナルビーグルクラブを見ることになる。250頭ほどのビーグル達が3日間に於いてのショーはAMCHランバーミスフリートイットがBOBを獲得した。この時に知り得たランバーケネルとこの後にアグネスの子達がUSAでのショーイングが始まるのである。