小林春夫・犬舎代表の一言コラム

小林春夫・犬舎代表の一言コラム

agenesdream 元犬舎代表の小林春夫 一言コラム。
犬にまつわること、ビーグル犬のブリーダーとして語ります

 金木犀が咲く時期になった、木が大きくなりかなり剪定してしまったがたくさん咲いてくれた、毎朝玄関を出るときにそのかほりが朝の気持ちを正してくれていて有難い、
 
 名前をつけるという事は人にとっても犬達にとっても重要な意味を持つものだと思う、これまでにブリーディングした子犬の数は相当数にのぼる、子犬の名前はそれぞれ違い同じ名はない、それはアグネスの犬達の名は世界で1頭だけで他の国に行った場合に日本の小林の繁殖でAgnesdreamの犬である事が解るようにしてあるからだ、子犬が産まれると質の良し悪しを見てショーに出せる子の名前は時間をかけて考えて意味のある名前にしている、これまでの長い間の子犬達の名を思うと良くもこのように多くの名を考え犬達に与えたものかと感心してしまう、名は体を表し名はその時代の風潮や出来事に流されやすい傾向にある、アグネスドリームでは子犬時のその子犬を観察しながらその子に最もふさわしい名を付けてあげるとその子は十分良い子に育ち十分な成績をこれまでに残している事は事実である、
話が少しそれますが今の人の子の名前が読めない書けない名が多くて困る、フリガナをつけてもらわないと間違えることがあるはずでましてや?夫、?子などと言う名はお目にかからないのが現状であるし子の名も飛んでいる名が多いような気がする、そして私は動物の中で馬が一番きれいな動物と思い込んでいるが、競走馬の中には誰が名ずけたのか、ナニスンネン、サバノミソニ、オヌシナニモノ、マズイマズイウマイこのような名の馬たちが走っています、楽しいけれどもやる気があるのかと思ってしまう、人の名犬達の名にはその個体の表現と言うものがあるはずであるからいい加減な事では済まないかもしれない、私は2000年を過ぎた頃から犬達の名をほとんど日本名にする事にかえた、その方が何だか呼びやすい気がしたからで女の子はお気に入りのNHKのアナウンサーの名が多くつけられている、犬達の中に自身の名を覚えるのに苦労する子もいて人から見ては彼らは一つの個体としての名自分の名として解釈しているのかは不明であるが人の持つ声の強弱で自分である事を理解しているのではないかと思う、どのような立場でありながらも生涯に於いて自身の名を残すという事は難しい事であると思うがそうなりたいと常に思いながら生きている、




 

  書き記したものは残る書いたものは永遠に残る、いろいろな場面で人々の残した言葉や話し後に歴史的な言葉が歴史として残されているものも多い、書であったり書簡であったり後世にの残る感動的な言葉はたくさん存在する、どんな人にも誰にでも時は流れ過ぎていくものだ、忘れたものを忘れた頃に人は皆若いころの正気に戻り自身が歩んだ道のりに付いて思いを巡らす時間が訪れる、人は常にいつまでも永遠なものとして残されるものだと思い込んでいる事が多いのではないか、若いころの記憶をたどればいつも物事が自身にとっての永遠なものとして記憶の中に残しておきたいものなのかもそれない、特に愛情や言葉や記憶などは刻まれた心の中でひっそりと息をひそめてその出番を待っているのだ、言葉は生き物であるから時には凶器にもなるが文字には人を救う力があり、書くことにおいて自分の存在を知らしめる働きが確かにあるから残そうとする思いは正しい事と思う、残すという事にたいしては言葉だけではなく記憶もそのうちの一つで大事なものであるが、記憶と言うものは時にはあいまいな部分もあり薄れた記憶もあるから絶対ではない、だから残すという意味では言葉が一番の正確さがあるのではないか、言葉が永遠のものであることは既に証明されている、古き時代の壁画などからも多くの書き記されたものが見て取れるのだ、そしてその時代の事が鮮明になれば人の歴史が読みとれるのだ、言葉以外の残るものとして愛情や教えなどがあるが、やはり言葉で伝えるという事が何よりも理解度が高いし解かりやすいと思われるから一番重要ではあると思う、私は学生のころから言葉は生き物と思いながら大事にして来た、記すという意味では永遠の宝物のように思いながら自身の中では言葉を育て大切にしながら過ごして来た、もしも犬達が言葉を話すことが出来たなら十分な意思疎通ができるであろう、そして思いもよらない犬達との暮らしが生まれるかもしれない、犬達の中には気のせいかもしれないがどうも人の言葉を理解しようとする犬がいるようである、本来犬達は言葉を話す動物ではないから本当のことは解からない、家犬は比較的飼育者と長く過ごす時間があるようでその影響なのか飼い主の表情を見て取る仕草をする犬がいるのだと思う、犬達が言葉を話すことが出来たなら、十分な犬達との意思疎通が出来たであろうか、そして思いもよらない犬達との暮らしが生まれただろうか、言葉は大事な意思疎通の道具であり自身の気持ちを伝えるものであり大事な人を持つようになった時それが重要なものになることが明白なのである、また自身の名を残すことは名声ではなく確かな刻まれた文字である、



 

  いつの時代にも通常でない人と呼ばれる者は存在して物事に対して不正が行われている事実がある、先日も赤い十字架の組織では無関係の組織だと言う羽根募金の使途不明金が発覚した、重大なる管理の落ち度が明白であるが多くの組織のうちの限られたところに不正が発覚して世に問題となる、政治を行う者達においても絶対と言う立場でありながらも人の欲が先立ってしまう不正は数多く起きている事が現実である、過去に私達にかかわる国内最大の犬の団体は2005年6月8日の読売新聞がその不自然さを新聞紙上にて国民に知らせたのである、見出しは裏金で5500万円ヤミ報酬、国税指摘申告漏れ3億5000万とあり法人追徴金9000万とみられるという、常勤理事には総会を経て1千数百万、非常勤理事は無給で必要と認めた場合には有給である、理事になり会議の場でヤミ報酬のカラ出張請求の仕方を教えられたというから何という団体であろうかと思わざるを得ない、本部指定の出張に関してはカラ出張とは別に実費が支給されていたという、非常勤理事のヤミ報酬は月額15万であったという、こうした不正を団体の本部職員が指南したという事はあってはならない事柄であり不名誉な事であると思う、この当時会員数が17万人いたそうであるが今2026年に於いては7万人弱であるから一般的な考えでは当然関わりのある上層部の人達はその責任を取るべく退陣する事であるが処罰を受けた形跡はない、前進する意欲のない犬の団体であるし必要なものであるのか思いを巡らす思いだ、日々の犬達の事に関しても思いもつかない事が表に出て賑わす問題となる事が多い、比較的表に出ない悪事が血統書の改ざんである、巧みに間違いの申請を平然と行うものがある、犬の血統書は正しくなければならない事は承知の事であり間違いがあってはならないものである、血統書とは家系図であるから全ての犬達ではないが今ではDNA番号を持つ犬達も多く見るようになった、全ての場合が発覚することがないかもしれないから与えられた血統書を思い込みながら飼う人にとっては気の毒としか言えない、良くショップで見かけることがあるのが販売の子犬が数か月売れ残ると極端な安価で陳列されていることだ、同じ子犬なのに不思議な感があるそれは悲しいかな計画された繁殖でない売買のために作られた子犬であるから、本来基準となるその犬種の犬種標準から離れてしまうからで気の毒なこうした子犬達はたくさんまるで見世物のように店内のケースの中で行く先を待っている、尚、子犬の販売は動愛法に元ずくと生後8週56日経過しなくてはならないとありそれ以前の子犬の販売は法違反である、一時注目されたのが雑種犬であり本来作る事はご法度であるはずの子犬達がまるで世界に一つだけとうたい文句で高額な金銭で売買された、それもミックス犬と名うって純粋犬の何倍もの金額で取引され、それも何とかブリーダーと名さえ記された犬達がいた事実がある、動愛法で決められたことであってもずるい人たちはいるもので必ずどこかほころんだ隙間から不正は生まれるもので、ものがある以上人の行いは止むことはない、だからブリーダーとパピーミルと言う区切りが存在している、