小林春夫・犬舎代表の一言コラム

小林春夫・犬舎代表の一言コラム

agenesdream 元犬舎代表の小林春夫 一言コラム。
犬にまつわること、ビーグル犬のブリーダーとして語ります

 他人の事はどうでもよいと思われるような行動を良しとする人がいるようである、先ほど信号待ちでの事であるが青信号になっても一向に進まない先頭車両そのあとに居たので右に出て追い越そうとした瞬間いきなり走り出した、一瞬の事であり事故るだろうと思ったが回避できた、車内で熱中症にでもなり動けないのかと思い前に出ようとしたのだが、本人は携帯に夢中で青信号どころではなかったのだ、一瞬の出来事ではあるが事故にならずに済んだのでほっとした信号は道の大きさにより違いはあるが2から3分ほどらしい、一瞬全てが赤になるようで1から2秒だそうだ、この暑さの中とはいえ次の信号が変わるまで社内で携帯とは、そんな馬鹿が運転している事を思うとどこで何が起こるか想像だに出来ない怖い日常である、常識と良識は何がどのように違うのか、社会の中で人を尊敬し道徳的に基づいた行い、人は基本的にこのように考える一般的にはこのように考え行動する共有する知識や考えのもとに行動する事、なのであるからこうしたケースの人は一般的には両方の考えが欠落しているのだろうと思われる、小さなことではあるが社会の当たり前の考えがどうも理解できていないようである、要するにその時その場ではやってはいけない事をやること自体が人としてどうなのかが理解できない、利己的な曲がった常識や良識を持つ人が存在している事が事実のような気がいたします、
犬達の常識とは何でしょうか、犬達は人のように道徳観念はなく行動しているものであり、例えば食べ物を見つけて食べてもたべられるものを見つけたから食べたという自然な行動なのである、犬はもともとが話が出来るわけではないから会話をすると言う行為はありません、だから目線やしっぽの動きなどで相手の気持ちを読み取りもともと備わっていた集団意識から協力する事を覚え共同生活が出来る性質が備わっているものと思う、犬達がもっと人間的であったなら犬と人との約束が成り立たなくなりやがては人の上に立つこともあるかもしれないから、その様にならないように犬達の位置づけをはっきりしておくべきだと思う、

  人は身勝手ないい加減なものと思いませんか全ての人がそのような者とは思えないが、何故なら様々な人がいて様々に考えや思想があるから人それぞれに違いが生まれ生きている、悪く言うものもあれば協力的な人もある中で暮らして行かなくてはならないから、社会を生きていく上ではそうした見極める感性も必要な事ではある、身勝手なものは好感の持てるものではないから比較的に相手になる事がなく強調して物事を進める立場からは遠ざかる傾向にあると思われる、自己中心的な人はたくさん存在する自己が中心でなければならないと思う人もあるから、ただ生身の人間と付き合うには覚悟が必要であるかもしれませんし信用出来るのかを見極める事が大事のように思う、主題から離れるかもしれないが、時間にルーズな人は根本的に相手の時間を奪っていると言いう想像力に欠けて、出かけるまでに必要なプロセスと時間の逆算が出来ない、また片付けや整理整頓が壊滅的に苦手で整理整頓のプロセスが苦手なものである、ただ様々な人が生きているから染まらないように脇道をいく事も良い選択なのかもしれない、勿論犬達の中にもこうした犬は見ることが出来ます、自由奔放と言うか勝手な子もあるが勝手な犬達は状況判断が出来て言わなくても次に何をするのかが解かり勝手に自身の都合をつける賢い犬達ではある、また勝手気ままとでもいうのか耳を傾けない子もあるがこうした犬達は他犬に迷惑でなければ好き勝手に行動している事には問題はない良い運動にもなるので状態が良い状況だと思います、いずれにしても犬達も人も同じようなもので同じようなしぐさや同じような行動をするものであるから犬達は人の行動をもしかしたなら過去に学んでいたのかも知れない、但し犬達も人も通常賢くありたいと思うのが普通なのかもしれない、

 何故戦うのか、人は何故戦わなくてはならないのか、もうすぐにまた熱い日々がやって来て耐えがたい終戦記念日、慰霊の催しが始まる、記念日と言っても到底思い出したくない日々の事を、人は皆何十年も前の出来事に悲しみ一年に一度の悲しみの涙を見せる、20数万人の生まれたのではなく亡くなった人々の御霊を各々の感情で迎える沖縄戦の記憶に残る戦いの残忍な場面、再び人は何故に戦いをしたのか、人の気持ち心はもともとは裕福ではなく貧しいのかもしれないから罪悪な犯罪が生まれるのではないか、戦いは犯罪でもあるから人の心を集約し間違いに気づかないまま祖国の高揚を掲げて突き進んでいった時代を、何という不幸な時代を世の中が共有したのかは今の人には思うことが出来ない、戦いは多くの犠牲のもとに成り立っているような気もする、忘れてはならない事は失ったものは戻らない、
現代においても小さな戦いは個々そこにあり最近の事ではある県の頭についての問題だ、私個人では納得のいかない現実となったが、そのことで抗議した人間は問題の免職の前に抗議文を残して自死している気の毒な限りであるし本人はその後も何もなかったかのように同じ職場に復帰している、世の中にはもっと小さな戦いもたくさん起きているのが現状である、限りのない戦いやもめ事がある中でどのようにしたならもめ事もなく穏やかな今日や明日があるのだろうか、ひそかな明日が訪れるように願うばかりだ、 
犬達においても戦うために作出された犬達があるという事を知る必要性があるかもしれない、戦うために口吻を押しつぶしたように作り噛みやすいようにアンダーショットの歯列でまるで可愛くない仕草の犬達を純粋犬として作出した犬種も多くはないにしてもあるのだ、人の楽しみなのか人の残忍な感情なのかその作出時の沿革は私には解からない、国内においても人々の楽しみのために作られた犬、闘犬があるが牛や鳥もそんな人の満足感を満たすために作られた生き物があるのだ、
2年前に書いた<幸せの時代>は今になってもだれかが読んでくれています、有難い事ですがこの暑い日々が近くなると気にかかる事柄なのです