15の春に私は何をなくしてしまったのか
もう忘れてしまった
姉譲りのひそかな恋であったか
真珠いろの万年筆だったか
もう忘れてしまった
若かりし血気盛んな頃に私にビーグルに関わりを持つきっかけとなった出来事があった、本当に若いころである、名は忘れたがある雑誌の中のグラビア写真の中に足元に多くの犬達を従えて馬に乗る人たちの写真を見た、何て名の犬種であるのかは当然知らない、知らないものの強烈な印象を残してその光景は私の中に仕舞いこまれた、私は何故にこの写真を忘れることがなかったのか今になって思うにもともと犬好きな事からあまりにも強烈な印象を残したのであろう、年月が流れて1970年代末にふとしたことからこのことを思い出して犬種等を調べてビーグルを探し始めた、無学な私はどのようにこの犬種を選ぶのが良いのかもわからいまま国内を探した、最初に飼う事になったのが全猟のフールドのビーグルであった、これを繁殖してみたが自分の考えたものと違いがありすぐに処分することになる、その後はショー向きの犬達を探し始め数頭の犬達を持つことになる、最初の犬達をチャンピオンドック完成させた、この時KENNEL AGNESDREAMを登録してブリーデンングを始めるがやはり自身の思う犬ではなく、やはり勉強をと思うようになり自分なりの学びを始めた、犬を作る職人技はそんなに簡単ではない事を思い知るが犬達の血を学びラインを確立するがために長い時間を要した、それから時間が過ぎて130頭ほどのチャンピオンとアメリカチャンピオン15頭その他海外3頭のチャンピオンを作出した、日本生まれの犬が初めて全米ランキングNO1に登録されたのはAGNESDREAMのビーグルである、
忘れないという事が人にとって何故大事な事なのか、それは自身を思い起こすことが出来るからであり、15の春に見た雑誌の中の写真を忘れないでいたことが成功につながる事となった。
犬達は私達にとって良き友であり楽しく過ごす時間を作るものである、もしかしたなら良きパートナーであるかもしれない、私達はこの先どのように犬達との関わりを持てばよいのか不安になることもあるかと思う、数年前にSと言う人物が動物愛護法を大きく変えた事があり、そのことに於いて犬達を飼う、扱う者達がどのように変化していったのか問題である、いろんな思いが交錯する中であるものは巧みに弱点を突いた例えば血統書の改ざんを何の悪戯もなく行う、日本国内に於いては血統書のあるかないかに於いての判断が良い犬であるという判断基準なのであるからあることを良しとしなければならない、何故血統書があれば良い犬であるのかは解からないが大方の飼い主たちはその犬種の標準などを知ることもないから、そのような思いが自然に備わってしまうのは自然なことかもしれない、だとしたなら犬達の全てが質の良い犬になってしまうが知らない人には説明がつかない、犬を飼育している人の全ての人が飼い犬を理解しているわけではないから全ての人に共通して知り得る難しさが残り世の犬達に不条理さが残る、これでいいのだと思う人が多く存在する中で飼い主以外誰も信用すらしない犬達は飼い主が戻ってくるまで泣き続け人の生活までも脅かす場合もただあるのだ、犬を飼う事の難しさは本来飼う前に学習しなければならない飼い主の務めであるのだ、犬を飼う事は勝手な事ではない事を理解したうえで迎えなければならない、犬達との接する事は毎日が楽しいものではあるが飼うための本来の目的を理解すべきであり安易な気持ちを持たない事が最善なのであると思う、私はこのコラムを書くにあたって一貫して言い続けて来た事を全ての犬を飼う方々に良い道しるべになればと思いながら一つの考えを通してきました、少ない方々がたまに読んで下さり有難く思いますし、やがて一冊の書籍出版になればよいと思いながら時間があれば書き残してきました、これまでに何冊かの犬関係の出版をしましたが犬の関係の本は冊数が売れない事をよく知ってます、けれどもいつかは先立つものが出来た折にはと思っています。
人が戦う事がない日が来たならば、人は初めに何を行うだろうか荒廃とした中で何を探すだろうか、人は幸せであるという事は争いがない事のように思えるのだけれども決してそれだけではなく、勿論幸せ感と言うものは各々の中にあるものだから一概には決めつける事も出来ない、こうした幸せ感を取り巻く中で人も動物達も何故に争う事になるのか、小さな気持ちの欠けらが存在してそれが何かの勢いを持って動いていく中で些細な争いが生まれやがて収支がつかない状況をきたす恐れがある、争いは人も動物達もよくある事ではあるが人の争いは醜いが動物たちの争いは生活を掛けた争いが多く人間との違いがあるように思える、通常の人間には理解できない争いが現状としてあるのは何故なのか、人間の愚かさや人間の欲深な気持ちがぬぐえないままの状況が人の感情のオフとオンのスイッチを変えてしまう事があるから全ての物事を慎重に行う事が大事なことのように思う、そして人には様々なタイプがありそれぞれに思う事も変わり成すべき事にも違いがあるが自分さえと思う人は問題外とするのが正しいように思える、犬達も争う事があるけれども人のような愚かな争いではなく生理的な時期に於いてそんな行動を示して自分を強がる行動を起こすものであり通常はそのような騒動は起きない、飼い主が管理すべき事なのだから犬達が快適に暮らすことを思う事は飼い主に取っての務めではないかと思うのだが、犬達の親分は紛れもなく飼い主なのだから心地よく犬達が暮らしていく事に関しての行いは重要な作業なのだと思う。