※マヤの発言部分を紫色にしました。

 

「G・・・ここはどこなの?」

 

「幼い獅子よ、よく聞き給え。ここは、どこでもない場所の、時間のない時であり、そして、全ての場所と、全ての時につながっている、いわば、ゼロポイントの領域内なのだ」

 

「G!ここは、エリア#7の上空?それとも太陽の国?」

 

「幼い獅子よ、その問いは、両方とも正解であり、両方不正解である。なぜなら、どのレベルで『7』『太陽の国』というものを認識しているかによって、その答えは変わるからだ

 

Gの言葉を聞いて、マヤはあからさまに不服な顔をしていた。

 

「しかしながら、わたしの解釈を開示しよう。まず、ここがエリア#7の上空かといえば、3次元的な解釈では、それは誤りだ。エリア#13以上の世界では、エリア番号など、もう意味をなさないのだよ。13次元以降は、次元の区別すらなく、全ては一つなのだ

 

 

「それでは、次の質問に移ろう。ここは太陽の国かという問いだが、それは汝にとって、太陽の国とは何を指すかによって答えは変わる。少なくとも太陽の国は、太陽にあるわけではないだろう。なぜなら、太陽は太陽だからだ。そして、その太陽ですら、もっと大きな太陽を中心にして、銀河の中を回っているのだ。

 

 

君がいう太陽の国とは、惑星意識にとどまることなく、恒星意識へと進化することを比喩的に表現しているのだろう。それは意識の拡大を指しているのであって、恒星意識を持つ者が、『国』などという限定された発想を持っているとは、わたしには到底思えない

 

※惑星・・・太陽など恒星の周りを回り、球状をなすほど十分に重く、その軌道の近くに、衛星でない他の天体が無い天体。

 

※恒星・・・自分のエネルギーで輝く、星雲状ではない天体。太陽もその一つ。

 

「・・・でも、わたしがここにやって来ることが、わかっていたと、Gは言ってたよね。天空に浮かぶ星々と惑星の配置が、ここに来ることを告げていたと。それでは、わたしの運命は、天体の配置や惑星からの光によって、全て決まっているの?」

 

「汝の今の意識レベルでは、そうだ」

 

「今の意識レベルと運命は、どう関係あるの?それにわたしの記憶違いでなければ、ここはルネッサンス時代の工房だと思うけど」

 

あたりを見渡してみても、そこはかつてルネッサンス時代の過去世で多くの時を過ごした、勝手知ったる工房のようだった。描きかけの絵があったので、その絵にツカツカと歩み寄ると、マヤは驚愕のあまり、うわずった声を発してしまう。

 

「こ、この絵はなに?」

「これは、君が描いている途中の絵だ」

「わたしが?描いている!途中の?」

 

「その通り。この時代の君は、今頃、隣の部屋で居眠りでもして、遠い未来の夢を見ていることだろう。彼を叩き起こして、時間軸が違う自分自身に会ってみるのもいい」

 

「アムールとプシュケー、子供たち」

 

「そんなはずないよ。これは天使をあらわす『図形』で、ルネッサンス時代のわたしは、図形で天使を描いていた覚えはないし、もっと擬人化した天使を描いたはず」

 

「いかにも。いくら純粋な形で天使のエネルギーを降ろすからといって、図形で天使を描いていたら、人々の共感というものは得られないだろう。幾何学的なパターンだけで、これが天使だと共鳴できるのは、現在の惑星地球においては、150万人に1人くらいだ。

 

【6と7の架け橋】人生の設計図(3)(3/31)より

 

ルネッサンス時代の君は、天使を表現する図形を知っていたが、他の人にもわかるような表現方法を用い、天使を擬人化したのだ。多次元のものを、2次元の絵画や文字で表現するには、多くの人が共感できるような方法を使わなくては、その心情までは伝わらないのだよ。

 

ダビデの星と十六菊花紋(2015/11/12)より

天地創造

 

ホタテ貝の夢と「合わせ鏡の法則」(2016/12/23)より

 

そして、赤味を帯びた皮膚に、人間らしい目鼻をつけて、ふっくらとした唇と、風にそよぐ髪を描き入れたまでだ。ルネッサンス時代の職人の多くは、美の根底には幾何学的なパターンや、宇宙共通の比率が隠されていることを熟知していたのだ

 

以上、「6と7の架け橋」より抜粋しました。(次回へつづく)

 

I'll Be There・和訳付(1970年 ジャクソン5時代の楽曲)