大川小・津波訴訟 二審も市と県に賠償命令(4/26)

この裁判は、犠牲となった児童のうち、23人の遺族らが市と県に総額23億円の損害賠償を求めているもので、一審・仙台地裁は、学校側の過失を一部認め、総額14億円余りの賠償を命じ、原告・被告の双方が控訴していた。

 



26日の判決で仙台高裁は、「立地条件などから、津波被害を受ける危険性は予見できた」と、「震災前からの防災対応に対する学校側の不備」を指摘し、市と県に対して14億円余りの損害賠償を命じた。(引用終了)

 

 

 

すっかり日本も「クレーム社会」になってしまいましたね。都会でサービス業に従事されている方の必要以上の気の使い様にも現れています。(過去記事)東京にて(4)【孤独の街】

 

裁判官はまるで予言者のようですね~。子どもさんを亡くされた親御さんの辛い気持ちは分かりますが、未曽有の大津波ですし、教職員も精一杯やりました。結果的に悲劇的な結末になりましたが、人間の判断に100%正しいということはありません。ましてや、相手は大自然です。わたしが遺族だとしましたら、訴訟を起こす気にはならないと思います。

 

宮城県、石巻市が最高裁に上告した場合、日本は判例主義ですから、最高裁判決が二審と同じならば、地方自治体、国は、今後の大規模災害を切っ掛けにして財政破綻するかもしれません。

 

地下鉄サリン被害者遺族が申し入れ(3/12)より

 

この方たちの気持ちも分かりませんね。死刑執行に立ち会って、何かメリットがあるのでしょうか?オウム真理教関係者を憎む気持ちは分かりますが、憎む相手が生きているうちはいいでしょうが、この世からいなくなったら、今度はどこにその感情をぶつけて生きていくのでしょうか?

 

国はやることはやったのですから、その後のことは知りませんよ。「憎しみ」という感情が自分に返って、ご自分との闘いが待っていると思いますよ。遺族もそれ相応の年齢の方々でしょうから、仏教にも触れたことがあると思うのですが、事件から23年経ってもまだ、「死刑執行に立ち会いたい」とはね・・・ショボーン

 

≪肉体の死は年令の順番とは限らない≫

わたしは三人弟妹の一番上になります。わたしが生まれる前に兄が生まれましたが、3歳の時、三輪車で遊んでいたら、側溝に落ちて溺死しました。すぐに姉が生まれたのですが、兄と同じような年に、背中におんぶって子守をしてくれた女児の不注意で頭を打ち、翌々日亡くなりました。

 

昔は、道路事情も悪く、市を訴えることなど考えられない時代でした。姉の場合も、親たちは皆忙しく働いており、地域で子どもの面倒をみるのは当然でした。我が家は商売をしていたので尚更です。

 

昭和30年代の日本の子どもたち

 

親戚から聞いた話によりますと、「お姉ちゃんの場合、子守をしてくれた女児の家庭を責めても仕方がないし、この子の運命だったのだから・・・と母さんは言ってたよ」

 

大川小学校の教職員も、やる気でやったわけではありません。「許す心」も人間には必要であり、亡くなった子どもたちも、その方が喜ぶような気がしますし、なんと云っても「死んだ人は帰ってこない」のです。