丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ 和歌山・かつらぎ町)

 

今回の旅の行程です。

◎ 1日目 関空➡丹生都比売神社➡二つ鳥居➡高野山泊

◎ 2日目 高野山➡天河大弁財天社➡龍泉寺➡高野山泊

 3日目 高野山出発➡玉置神社➡速玉神社➡那智勝浦泊

◎ 4日目 那智大社➡橋杭岩➡紀伊大島➡南紀白浜泊

◎ 5日目 南紀白浜出発➡白崎海岸➡関空➡羽田➡釧路

 

メインは2日目、3日目なのですが、そこでまた不思議なことが起きました。まずは、1日目の丹生都比売神社についてです。

 

≪御由緒≫

紀ノ川より紀伊山地に入り標高四五〇メートルの盆地天野に当社が創建されたのは古く、今から千七百年前のことと伝えられます。天平時代に書かれた祝詞である『丹生大明神祝詞 にうだいみょうじんのりと 』によれば、丹生都比売大神は天照大御神の御妹神さまで稚日女命(わかひるめのみこと)とも申し上げ、神代に紀ノ川流域の三谷に降臨、紀州・大和を巡られ農耕を広め、この天野の地に鎮座されました。(中略)

 

太鼓橋

 

ご祭神のお名前の「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、『魏志倭人伝』には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。全国にある丹生神社は八十八社、丹生都比売大神を祀る神社は百八社、摂末社を入れると百八十社余を数え、当社は、その総本社であります。(引用終了)

 

「丹砂」を精製すると水銀が採取できますが、この近くに水銀の鉱脈があるということです。神社の本殿・鳥居等が朱色なのも「丹砂」を使っているからでして、古代の人々は朱色に魔除けの力があると感じたからではないかと言われています。

 

「丹生」のつく地名が、この辺りと三重県・多気町にあった「丹生鉱山」にみられますが、どちらも中央構造線上です。火山と関係ありそうです。「丹後」「丹波」はどうなのか分かりませんが、元伊勢と呼ばれる地域なので、水銀と関係あるかもしれません。

 

(過去記事)

GHQによって禁書にされた【日本人シュメール起源説本】(2)

マヤのピラミッドの下に水路、メキシコのピラミッドの下に水銀を発見

 

楼 門

 

 

本 殿

 

≪御祭神≫

◎第一殿・・・丹生都比売大神(丹生明神)

◎第二殿・・・高野御子大神(狩場明神)

◎第三殿・・・大食津比売大神(気比明神・氣比神宮からの勧請)

◎第四殿・・・市杵島比売大神(厳島明神・厳島神社からの勧請)

 

(参考) 丹生都比売神社(Wikipedia)

 

【熊野・高野山の旅】高野山編②(9/10)より

 

【熊野・高野山の旅】高野山編②におきまして、「三鈷の松」「御社」を取り上げましたが、ここでつながってきます。御社の神様と丹生都比売神社のご祭神は同じですね。十二王子というのは、私の推測では「イエスの12使徒」ではないかと思われます。照れ

 

「空海に高野山を授けた女神を祀る 紀伊国一之宮 丹生都比売神社」より引用

 

唐で密教を学び終えた空海は、日本に帰る前に明州の浜で、「密教を広めるのにふさわしい地を示したまえ」と、密教の法具である三鈷杵(さんこしょ)を日本に向かって投げたのです。

 

 

日本に戻ってきた空海は、落下地を尋ねて大和国宇智郡(奈良県五條市付近)を歩いていました。すると、向こうから筋肉たくましい1人の漁師が犬を2頭連れてやってきたのです。

 

 

空海はその漁師に呼び止められたので、旅の目的を語ったところ、狩人は、「私はその場所を知っている。案内しよう。」と、2匹の犬を放ちました。空海はその日、天野の地で宿をとりました。そこで漁師に、ある山人を紹介されました。

 

三鈷杵

 

山人に三鈷杵の落下地のことを話すと、「ここから南に行くと、平原の沢がある。そこがあなたの求める地だ。」と言い、翌日その山人が案内することになりました。

 

道すがら、山人は、「実は私はこの山の主なのだ。あなたにこの領地を差し上げよう」と告げました。山の中に百町(11キロ)ほど入ったところ、八つの峰に囲まれた、鉢を臥せたような姿の平原にたどりつきました。

 


そこの一本の松に三鈷杵が打ち立てられていたのです!それは確かに空海が唐から投げた三鈷杵でした。空海が山人に、「いったいあなたは何者なのですか?」と尋ねたところ、「私は丹生明神。昨日の漁師は狩場明神である。」と告げ、姿を消したのでした。(引用終了)

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狩場明神、丹生明神の伝説は別にして、元々、高野と呼ばれる地域は「天領」でして、天皇家から譲り受けた土地なのです。その許可を下したのが丹生都比売神社でして、天川村にあります天河大弁財天社も南朝天皇家のメッカとして有名ですが、これら二社と高野山には南朝天皇家の存在があります。

 

 

空海は30歳まで無名の人物でした。そして、遣唐使として突然現れた空海には膨大な留学資金を用意できるはずがなく、資金提供したのは天皇家だという話があります。

 

空海は現在の善通寺市生まれで、幼名は「佐伯真魚」です。父は佐伯直田公(物部系)、母は阿刀大足(秦氏系)の娘で、出自からしても、突然世間に現れた経緯からも、不思議な経歴の持ち主であることがわかります。

 

 

最後に飛鳥さんからの受け売りですが、面白いシンクロニシティをお伝えします。和歌山の「和歌」は五七五七七ですね。

 

5+7+5+7+7=31➡3+1=4➡四国

 

 

和歌山県の河川といえば「紀の川」です。水源は大台ヶ原といって、奈良県と三重県の県境にある山々です。今回分かったことなのですが、和歌山県に入ると紀の川と呼ばれ、水源に近い奈良県では「吉野川」と呼びます。

 

中国四国農政局より拝借

 

吉野川というと、高知県と徳島県を流れる同名の一級河川があります。紀の川は紀伊水道に流れますが、吉野川も紀伊水道に流れます。和歌山市側と徳島市側を合わせると、まるで合わせ鏡ののようにつながってしまいます。てへぺろ

 

そして、二つの川は共に中央構造線上にあり、和歌山県と三重県多気町にあります「丹生」という地名も中央構造線上でした。面白いですね~。ちなみに、他県にあります「丹生」という地名は以下のとおりです。では~♪

  • 丹生 (山形県・尾花沢市) 
  • 丹生 (福井県・美浜町) 
  • 丹生 (奈良県・下市町) 
  • 丹生 (大分市) 
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