霊泉鶴の井戸(櫛田神社)

 

 

タモリさんの続きです。柴田理恵さんが「火のご用」を表しているとすると、対極にあるのは「水のご用」ですから、タモリさんの出身地である福岡市にその象徴があるのではないかと思い調べてみました。

 

すると昨年秋、博多駅前で起きました道路陥没の記事で取り上げた「櫛田神社」「霊泉鶴の井戸」が見つかったのです。この井戸は本殿下から湧き出ており、味としてはかなりしょっぱくて不味いそうです。現在は役所がうるさくて飲めなくなっています。

 

下記の参考記事を読みますと、神社近くに冷泉公園があり、京都の冷泉家が思い浮かびました。明治維新で東京に奠都した際には、冷泉家だけは京都に残っており、冷泉家の「松の井」という井戸は有名です。参考記事をお読みください。

 

(参考) 霊泉鶴の井戸 櫛田神社

京の水はこんなに甘かった…歌道名門・冷泉家「松の井」復活で見直される「地下水」への回帰 (2014/4/5 産経関西)

 

博多駅前で大規模な陥没か、七隈線延長工事が原因か

(2016/11/8)より

北斗七星

 

偶然だとは思いますが、北斗七星図の①を天神南駅、②を天神駅、➆を福岡空港駅にすると、北斗七星の形になることを仲間が発見しました。また、①と②は現在つながっておりませんが、つなげると「六本松駅」まで北斗七星の七隈線が出来上がります。ダブル北斗七星ですね~。ふんわり風船星

 

博多06

 

次に周辺の神社を調べてみました。「櫛田神社」という神社が目に止まりました。すぐ近くに冷泉町、祇園町があり、京都と似ています。「博多祇園山笠」という有名なお祭りがありますしね。主祭神に素戔嗚尊が祀られておりますので、牛像牛があるんじゃないですか?調べてないですが・・・秦氏が仕掛けた暗号があると思いますよ。(引用終了)

 

「博多祇園山笠が奉納される神社 ~櫛田神社」より拝借

座牛像

 

神馬像

 

櫛田神社(Wikipedia)より

【歴史】

社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。

 

天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられるが、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説が最有力であり・・・(続きはwikiをお読みください)

 

「花鳥風月:祇園精舎の鐘の声」(2016/6/12)より

なすび02

 

斑鳩寺(兵庫県太子町)にも神馬像がありましたが、牛と馬の像があるということは、櫛田神社には秦氏の影がちらつきます。牛像は牛頭天王で京都祇園社(現・八坂神社)の御祭神です。祇園はシオン、素戔嗚大神を祇園大神とする点にも注目です。

 

御祭神の祀り方をみてもオカシイと思いました。正殿に大幡主命(櫛田大神)、左殿に天照皇大神、右殿に素戔鳴大神(祇園大神)ですが、大幡主命は初めて聞きましたし、天照大神に仕える豪族の神がどうして正殿に祀られているのかしら?普通は反対でしょう。

 

「モーゼが眠る街(3)」(2016/6/11)より

三柱鳥居

 

ましてや、幡(ハタ)は秦(ハタ)にも読み替えることもでき、これは飛鳥氏がよく言うところの≪見せて隠す仕掛け≫でしょうし、拝殿に3つの鈴が並んでいる点は、京都の広隆寺近くにある木嶋坐天照御魂神社の「三柱鳥居」にも繋がると思います。

 

北九州市には八幡区(旧・八幡市)がありますし、博多祇園山笠という祭名からも、秦氏の影響が色濃いと思われます。

 

生島(大避神社正面の海上)

 

そういえば・・・今回の旅では秦河勝が創建した大避神社(赤穂市坂越)を訪れています。神社正面の海に浮かぶ生島には秦河勝のお墓があり、人の立ち入りを禁止しています。

 

平家物語02

 

このタイミングで「祇園精舎の鐘の声」が出てきたのですから、色々な意味で「驕れる者久しからず」ではないでしょうか。