3月17日(日)カミさんと愛知県常滑市へ行ってきましたドキドキ

 

常滑市陶磁器会館に駐車(500円)してパンフレットの観光コースを歩きます音譜

 

【土管坂】

常滑といえば「常滑焼」、瀬戸焼や備前焼、信楽焼などとともに日本六古窯のひとつ。今でも常滑市の地場産業でINAXさんの本社もある陶器の町です。

 

 

【お城の櫓みたいですがフツーの民家です】

戦国時代、知多の領主水野氏が織田信秀・信長親子と手を結び南へ侵攻、常滑や半田まで勢力を伸ばし知多半島を統一しました。

 

 

【廻船問屋(瀧田家)】

当時、常滑領の石高は1万2000石でしたが、常滑焼と港を手に入れたことで実質10万石の収入があり、廻船問屋も大いに繁盛したといいます。

 

 

【クランク状の狭い路地】

ところが、天正2年(1574)織田信長から「禁窯令」が出されました。要するに「瀬戸焼」以外の茶碗は、ちゃわんな(触んな)と命じたのです。

 

 

【登り窯】

当時、茶の湯は武士のたしなみとされており、信長はそれを利用し茶器に価値を与えるため瀬戸焼を特別に保護したのです。

 

 

【常滑焼の工場とレンガ積みの煙突】

それは常滑城主の水野監物にとって布団が吹っ飛んだポーン程の衝撃でした。

 

 

【本町大正館・陶彫のある商店街】

さらに不幸は続きます。翌年、敵の今川に通じていると疑いをかけられた兄の信元が信長の指示で殺されてしまいました。監物は思ったことでしょう「理不尽にもほどがある!ムキー

 

 

【川のある風景】

水野監物とは水野忠守のことで、常滑水野家三代目当主にして徳川家康の叔父(家康の母於大の兄)でもあります。

 

 

【下から見上げる常滑城址(現在は正法寺)】

「禁窯令」が出された翌年、長篠の戦いから戻った水野監物(忠守)が見たものはことごとく破壊された窯の跡でした。

 

 

【常滑城址、水野氏の遺徳を偲ぶ石碑】

それから7年後・・・・本能寺で信長が討たれると「禁窯令」は解かれますが、水野監物は兄を殺された恨みもあってか?明智光秀に味方します。

 

 

【中部国際空港(セントレア)】

常滑城址からはかつて水野監物も見た伊勢湾と中部国際空港が望めます。昔の港と廻船は450年の時を経て、今では空港と飛行機に姿を変えました。

 

 

【昭和の時代にタイムスリップしたかのよう】

しかし光秀は山崎の戦いで秀吉に敗れ三日天下に終わります。秀吉は光秀に味方した武将を徹底的に追及しましたが、なぜか監物はその罪を問われませんでした。

 

 

【だんご茶屋】

小腹が空きました、ここでおやつにしましょうビックリマーク甘いタレは使わず、しょうゆのみでこんがり焼いていて香ばしい匂いが店の前に漂っています。

 

 

【しょうゆ団子・磯部団子・ねこ(おかか)団子】

カミさんはしょうゆ団子を1本、私はしょうゆ団子・磯部団子・ねこ団子の三種盛り!ねこ団子は初めてですがしょうゆとおかかの相性が抜群ですね😋

 

 

【店内は4人も座ると満席です】

やがて監物は家康に従い関東へ移ります。息子は相模(伊勢原市)の領主となり監物は隠居します。甥っ子の天下統一をその目で見ることなく関ケ原の年(1600)、76歳で亡くなっています。

 

 

【常滑の街並みを見下ろす】

ナウなヤングもノスタルジックな気分に浸れるステキな町ドキドキ常滑でした。