2月17日(土)

 

前回、家康のルーツを探しに松平郷へ行きましたが、今回は家康の母方である水野氏の地元、知多半島の付け根にある東浦町を訪れました。さて家康と水野氏の関係は?家康の母於大とはどのような女性だったのでしょうか?

 

 

JR緒川駅近くに車を停めてさっそく散策開始、師崎街道を南へ。黒壁や辻々にあるお地蔵さん、道標や常夜灯など風情のある景色が心地よいです照れ

 

 

家康の母、於大の方は緒川城主17代目水野忠政の娘として生まれました。水野家の祖先は平安時代の武将、源義家(八幡太郎)のひ孫小河重房(おがわしげふさ)だといいます(諸説あり)

 

 

【地蔵院とイブキの大木】

平家との戦いに敗れた重房は現在の瀬戸市水野に逃れ、その後尾張知多郡小河(現在の緒川)に移り住み、この辺り一帯を治め「小河」と名乗りるようになります。

 

 

地蔵院の中にある【澤潟(おもだか)の井戸】

重房から数えて14代目の貞守は緒川城を築き「水野」に改名。澤潟(おもだか)という白い可憐な花は水野家の家紋となります。

 

 

【常夜燈】

於大の母、於富の方(家康の祖母)はその美貌が当時三河全体を掌握した松平清康(家康の祖父)の目にとまり、17代目水野忠政は松平清康の求めに応じ自分の妻を差し出しましたショボーン於富は清康の死後今川を頼って駿府に移ります。

 

 

【於大のみち(私のふる里東浦)】

そして於大も政治の道具として松平清康の息子広忠に14歳で嫁ぎ、15歳で家康を産みます。母子して松平に嫁いだことになりますね。

 

 

【明徳寺川沿いの桜並木】

その頃松平広忠は今川に属していましたが、水野忠政のあとを継いだ於大の兄信元が織田方についたため、広忠は今川に配慮して17歳の於大を離縁、家康をおいて実家に帰ります。

 

 

この桜並木(於大のみち)は平成2年、ふるさと創生事業1億円を活用して整備し両岸に桜の木を植えました。3月下旬~4月上旬にはこのような景色が楽しめます(画像は東浦町HPから借用)

 

 

【於大の生涯を記したプレート】

於大20歳、久松俊勝と再婚。家康は人質として今川に向かう途中織田に奪われます。

於大22歳、家康は今川と織田の人質交換で駿府へ移りますが、於大は母の於富が家康を養育できるよう図らい、励ましの手紙を書き続けました。

 

 

【このようなプレートが全部で30枚】

於大25歳で久松との子、康元を産みます。康元は関ケ原の戦いの時江戸城の留守を任されました。27歳、村木砦の戦いで織田・水野連合軍が勝利。30歳、兄信元と子家康が合戦、胸を痛めます。

 

 

【桜並木の下に咲く白水仙】

於大33歳、今川義元が上洛の際、家康は今川の先発隊として出陣、桶狭間の戦いの2日前家康は死ぬ前にもう一度会いたいと母を訪ね涙の再開。敵方である久松氏はこれを見て見ぬふりをしました。

 

 

【水野家の菩提寺、宇宙山乾坤院】

そしてその2日後今川義元が討死すると大高城にいた家康は孤立してしまいますが、これを助けたのが於大の兄水野信元でした。そして家康は信元の仲介で信長と清州で同盟を結んだのです。

 

 

【境内・本堂裏手には水野家の墓があります】

於大35歳、家康に取り立てられた夫俊勝とともに岡崎へ移り、ようやく母を手元に引き寄せた家康はあらん限りの孝行を尽くしたといいます。水野氏も家康を助け三河一向一揆の平定に尽力。

 

 

【於大出生地】

於大48歳、信長の家臣佐久間信盛が兄信元をざん訴。信長の命令を受けた家康は信元を大樹寺に呼び出し殺害ガーン信元の息子たちも殺されましたがただ一人3歳の利勝(家康の従弟)だけは難を逃れて岡崎の土井家にかくまわれました。これが後に秀忠・家光の時代、老中・大老となり辣腕をふるった土井利勝です。

 

 

【緒川城址】

於大53歳、信長は石山本願寺と和睦。兄をざん訴した佐久間信盛はその怠慢を責められ追放。水野氏謀反の疑いは晴れて信元の弟たちは刈谷城主・緒川城主に返り咲き。

 

 

【於大も頻繁に参拝した善導寺】

於大60歳、夫久松俊勝が亡くなると61歳で剃髪、尼となり傳通院の号を授かります。

63歳、家康関東移封に伴い一族も江戸へ移り、俊勝との長男と三男(家康の異父兄弟)はそれぞれ下総(千葉・茨城あたり)の城主となります。

 

 

【道標卍十五丁(寺まで約1.6kmってこと?)】

於大75歳、後陽成天皇に拝謁、豊国神社に参拝し徳川が豊臣に敵意がないことを示しました。その2か月後伏見城で家康に看取られ亡くなります。「日本一幸福な母親」の位牌は乾坤院と善導寺にも安置されています。

 

 

【東浦町のマスコットキャラクター「おだいちゃん」】

髪飾りは川沿いに咲いていたあの白水仙でしょうか?東浦町では毎年4月に於大まつりが行われます(画像は東浦町HPから借用)

 

つづく・・・