11月18(土)前回のつづき

 

 

勝幡駅から車で10分「津島神社」へやってきました神社創建は西暦540年!織田家の繁栄はこの津島神社の門前町を支配したことから始まりました。

 

 

幼い信長も遊んだであろう境内。豊臣・徳川も厚く庇護たといいます。

 

 

本殿の垂れ幕には織田家の家紋と同じ「木瓜紋」が。それは津島神社の「神紋」でもあります。津島神社と織田家との深いつながりの証ですね。

 

 

津島湊はここから600mです。当時の光景を想像しながら歩いていきましょう!

 

 

当時の絵図がこちら(画像は借用)右手前が津島神社、左が津島湊、その奥は伊勢湾。当時は堺と並ぶほどの物流拠点として繁栄したそうです。商業の活性化、その経済的なセンスは信定・信秀から信長にも引き継がれ岐阜での楽市楽座につながったのですね。

 

 

天王川公園に着きました、かつての津島湊があった場所です。今では日本最大級の藤棚があり「日本の歴史公園百選」にも選ばれています。公園の中にはスタバもあるでよコーヒー

 

 

常夜燈と松林が当時の面影を残しています。

 

 

ここは藤の花の季節にはフォトジェニックな場所となります。気になる方はググってみてください。池の中にある中之島に渡れるみたいです、行ってみましょう!

 

 

Yone Noguchi(野口米次郎)の銅像。誰や知らんと説明板を読んでビックリびっくり実はこの方、信秀が息子信長につけた後見役の平手正秀の弟の12代目で世界的に有名な詩人だというのです。思いがけない発見も歴史旅の醍醐味ですねニコニコ

 

 

津島神社へ戻り車で35分、名古屋市の中心部にある東別院に来ました。ここにはかつて信秀が築いた古渡城(ふるわたりじょう)がありました。

 

 

今は境内の奥にひっそりと石碑があるのみ。1538年(28歳)の信秀は今川の那古野城を謀略で奪取、その翌年信秀は古渡に城を築き移り住み、那古野城には幼い信長を住まわせました。現状維持は後退と言わんばかりに信秀はどんどん攻めて領土を拡大していきます。籠城などせず積極果敢に攻める姿勢は信長にも引き継がれていきます。

 

 

津島と熱田を掌握し莫大な富を得た信秀は朝廷や伊勢神宮に献金、内裏の修理費を負担するなど、朝廷重視・保護の姿勢は信長にも踏襲されていきました。

 

 

古渡城址から車で5分、矢場町の味仙さんでお昼にしましょうか?開店は11時30分、11時10分に着いた時は一番乗りでしたがそのあとすぐ大行列ができました。

 

 

注文したのは青菜炒め(790円)と台湾ラーメン(820円)!でらうま😋

 

 

このすぐそばには大須観音もあり多くの人で賑わっています。織田家の菩提寺である万松寺もその商店街の中にあります。大うつけと呼ばれていた信長が信秀の葬儀の際抹香を投げつけたことで有名なあの寺です。

 

 

つづく・・・・