令和六年一月四日(木) はれ
会津東山温泉。
といっても湯治ではなく初詣です。
正月三が日明けの温泉郷は心なしかひっそりとしています。
それにしても雪が無い。
市街地ならまだしも山の上まで全く無い。
なんて年だ。
こんなことならオートバイで来ればよかった。
温泉街ではありますが個人的には食事をしに来る場所でして。
行きつけのソースカツ丼のお店、「よしのや」さんですが…。
惜しまれつつ閉店。
12月におじゃましたのが食べ納めになりました。
長い間ありがとうございました。ごちそうさまでした。
土方さん、これから私はどこでソースカツ丼を食べればいいのですか。
羽黒山神社の参道に連なるこの坂が「残念坂」。
下の道路が開通する以前の湯治客はこの坂から帰路についたそうな。
皆「帰るのやだー」とうしろ髪引かれつつ上ったので残念坂。
坂を上った突き当たりにあるのがこれも行きつけの卯之家さん。
なんて素晴らしいロケーション。
これは全然残念じゃない。
ソースカツ丼専門店ではなくラーメンとか定食とかも間違いないです。
でも今日はソースカツ丼気分だったのだ。
初ソースカツ丼。
坂を上り切ったところで大鳥居にご対面。
ド派手な「羽黒山」の金字の神額。
そして柱の前後を支える控え柱。
神仏習合の神社に多く見られる作りなんだそうです。
この地を霊場とし羽黒山東光寺を開いたのが奈良時代の僧・行基。
東山は温泉地よりも霊場としての歴史のほうが長いのですね。
葦名〜蒲生〜松平と代々の会津領主からの信仰も篤かった東光寺。
羽黒山なだけあって修験道の場としても大いに栄えたそうです。
しかし明治の神仏分離令により廃寺となり湯上神社と改められました。
そしてこの参道には三十三観音が祀られています。
参道で三十三観音参り、ハワイアンズでハワイ気分みたいな。
同様のものは結構あちこちで見られるみたいですね。
車道をまたぐといよいよ本格的な山道に入ります。
本社までは石段1225段。
ハードルが高いほど燃えるってもんで。
一応熊は冬眠中だと思いますが…。
暖冬だから油断は禁物。
念のため熊鈴は持ってきておいた。
熊スプレーも持参すべきだったかしら。
山装備ではないけれど一応身軽な服装で来て正解だったようです。
段数を数えるのは早い段階であきらめました。
物事の本質を見失わないように。
観音像は一番から三十三番までほぼ等間隔に並んでいます。
これで現在地を把握するのですね。
見たところ観音像は三度にわたって祀られているようです。
風化の具合から想像するに明治版、大正版、昭和版てな感じでしょうか。
江戸期以前なら廃仏毀釈で撤去されていると思いますし。
十一番、ということは上りの三分の一。
まだまだぁ〜。
えっちらおっちら。
山も昨年9月の飯豊山以来登っていないからなぁ。
運動不足気味です。
補修することなく朽ちるにまかせているのでしょうか。
南無観世音菩薩。
往時は参詣者が押すな押すなと詰めかけていたそうな。
今は三が日くらいは賑わうのでしょうか。
この日すれ違ったのは4〜5人くらい。
二十二番、あと三分の一。
行基さまを霊場に導いたとされるのが伝説の鳥、八咫烏(ヤタガラス)。
日本サッカー協会のマークに描かれているあの三本足のカラスですね。
残念ながら今日はカラスは見えません。
ようやく本社が見えました。
最後、三十三番目の観音像。これにて結願。
戸を開け中に入ってお参りします。
…内部の撮影は遠慮しました。
羽黒山の文字。
主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。穀物の神、農耕神です。
やはり出羽三山の羽黒山と同じ御祭神を祀っています。
東光寺時代の御本尊は聖観世音菩薩立像。
今は鶴ヶ城博物館に安置されているんでしたっけ。
本社のさらに上にある標高642mの羽黒山山頂に奥の院があるそうです。
場所は地図を見ても確認できませんね。
背炙山に向かう道の途中あたりかしら。
でもあの峠は冬季通行止めだしなぁ。
さて、下りますか。
膝が笑っています。
大鳥居の向かいに社務所があります。
宮司さんが在所なら御朱印をいただけます。
残念ながら買物に出られたそうでご不在でした。
残念坂を下りる。
会津東山名物湯の花ようかん、松本家さん。
湯上神社の御朱印はこちらでもいただけます。
せっかくなので羊羹も買って帰りましょう。
ポチッとな。
お家に帰って湯の花ようかんを食べるまでが初詣です。
参考文献
小島一男「会津故事散歩」 歴史春秋社
米澤貴紀「神社の解剖図鑑」 エクスナレッジ