令和四年八月二十五日(木) くもり のち はれ






第十番札所からのつづきです。






勝常寺を後にし、次の札所へ向かいます。

暑くなってきましたね。






十番・勝常観音から十一番・束原観音まではおよそ4km。

阿賀川と宮川を渡ります。






宮古橋を渡ればもう会津坂下町です。

サイクリングロードとはしばらくお別れ。

ここに最初の橋が架けられたのが明治38年。

現在の宮古橋は1990年に完成した三代目です。







阿賀川左岸から土手を走ります。

ちょうど阿賀川と宮川の合流地点でもあります。

管理用道路なので一般車両通行禁止ですが自転車はOKと。無敵ですな。






一級河川宮川を渡り右岸へ。

細工名橋を渡ってすぐの集落が細工名。

その先が束原集落。






広大な田園地帯の彼方に目指す束原集落が見えてきました。

盆地なので地平線の彼方は全て山です。






橋が無かった時代は越後街道の高久宿から阿賀川を渡河していました。

今の宮古橋から2〜3km上流の地点です。

舟橋(舟を並べて浮かべ板を敷いたもの)が設けられたのが明治14年。

昔の巡拝者は通行料を支払って次の札所に向かったのですね。

明治時代頃まではこのあたりに加登屋という茶屋があったそうです。

なるほど、道の駅あいづがあの立地でヒットしている理由がわかります。






午前中に見たドローンが飛んでいたあたりで渡河していたんですね。

今は田舎町のはずれでも、かつては人や物の行き交う要衝だったわけです。






束原集落に到着。

会津で暮らしていても普段は用事のない地域です。






束原観音堂にとうちゃこ。






観音堂のご本尊は馬頭観音。

十一箇所目にして初めて、そして三十三箇所唯一の馬頭観音です。

馬頭観音は六観音のひとつとされます。

生命は六種類の世界に生まれ変わりを繰り返す。

地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道、合わせて六道。

その六道に迷う者たちを救うのが六種の観音様。

馬頭観音は畜生道担当です。

手塚治虫先生の「火の鳥」の世界観ですね。






観音堂はきれいに整備されています。

蜘蛛の巣ひとつありません。






元々あった場所から本堂とともにここに移転したそうです。

創建は平安時代とも。







湯殿山に飯豊山に古峯神社、その他。

村人の信仰心の高さを思います。






御詠歌が納められています。






ご本尊は行基の作と伝わります。

観音様は女性的なイメージがありますが馬頭観音は憤怒の形相です。

会津の馬頭観音信仰の本山とされるのが磐梯山の西の厩嶽山です。

この6日後に登りましたので後々UPしたいと思います。






こちらにも御詠歌が納められています。






あちこち観音堂を巡っているとなんとなく違いがわかるようになります。

唐様の要素を取り入れていますね。






創建当時この村は塚原といっていたそうです。

いつしか束原と書くようになったのは何か理由があるんでしょうね。






天台宗・流古山満蔵寺のご本尊は地蔵菩薩です。

本堂もきれいにされています。






宝の地図がありました。

住職不在のお寺は個人宅にて御朱印を受けます。






案内板を目印に。






到着。






頂戴いたしました。きれいなカラーコピーです。

南無観世音菩薩。


会津三十三観音 第十一番札所

束原観音 馬頭観世音

流古山満蔵寺 天台宗

河沼郡会津坂下町束原字東1516


御詠歌

昔より誰がたてそめしふるしきの

久かるべき束の原かな






ご主人のカブを思わず激写してしまった。

働くカブは美しい。






ポチッとな。

三十三箇所の三分の一が終わりました。

次はこのまま盆地を南下し会津若松市内に入ります。






参考文献


会津の霊場めぐり奉賛会「会津霊場めぐり」

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