向井side
「倒れたって言うから心配したよ」
「心配することないやろ」
「そんなこと言うなよ」
俺の頬に腕を伸ばして、ぴたりと触れたその手はとても冷たかった。
「俺はいつだって、康二の心配してるんだよ?」
目黒蓮。
彼は1年前に橘雪に紹介されて出会った心理カウンセラーである。
「最近なにか変わったことは?」
唯一、この男について知ってることがある。
「特には」
この男は、恐らく俺に、好意を抱いているということ。
「嘘」
「なんでやねん」
冷たい手が頬を伝って首筋へと降りてくる。
「病室に毎日来てたけど」
「みっちーのこと?」
「ううん」
彫りは深いが、顔に目立った特徴がない美形で、女性たちにいつも囲まれている。
「雪ちゃん?」
「分かってるんでしょ?」
漆黒の瞳に捉えられると、蛇に絡まれたように上手く動けなくなる。
「渡辺翔太?」
「ほら、分かってたくせに」
口角を上げた。
「ずいぶん、タイプが似通ってるんだね」
「…タイプ?」
「深澤くんに似てる」
俺は、目黒蓮をどこかで恐れている。
まるで自分の力が遠く及ばないような、そんな威圧感に押しつぶされてしまいそうだった。
「そう?」
「なんだろうね、顔がそっくりな訳じゃないけど、纏ってる雰囲気かな」
しかし、その威圧感にも慣れてしまった。
「そう」
目黒蓮の唇が近づいてきて、思わず顔を背けた。
「ねえ康二」
柔らかな唇が首筋に吸い付いたとき、ビリッと電流が走るような感覚がする。
「ん、った」
僅かな痛みを感じる首筋を、目黒蓮の大きな手のひらで覆われた。
「明日はちゃんとズルしないで来なきゃだめだよ」
コンコンと扉がノックされる音が響く。
「みっちーかも」
「違うと思うけど」
俺は、両親が既に他界していて頼る人もおらず、奨学金を借りて大学を卒業した、ただのカメラマンである。病院の個室に入院できていること自体、他人から見たらおかしいに決まっている。
「え?」
きっと、俺の周りの人間は不審に思っても言葉にしていないだけなのだろう。
「おい、入るぞ」
病室に現れたのは、俺の予想とは異なる人物だった。
「…翔太くん」
「あれ、もしかして俺おじゃま虫?」
どうしてこの人はいつも、俺の心が竦んでいるときに現れるのだろうか。
「えっと、どちら様?」
スタスタと歩いてきたまま、俺に尋ねた。
「…カウンセラーの先生」
「初めまして、向井さんのカウンセリングを担当している目黒蓮と申します」
爽やかな笑みを浮かべて挨拶をした目黒蓮とは対称的に、彼の表情は変わらなかった。
「初めまして」
名乗るわけでもなく、それだけ口にして頭を軽く下げた。
「せっかくなんですから、ぜひお名前教えてください」
そんな彼の不躾な態度に腹を立てた様子もない。
「渡辺翔太です」
「渡辺さんですね、向井さんに素敵なお友達がいてなによりです」
俺を見て笑いかけてくるその作り上げられた表情に、心の底から敬意を評したい。
「お友達がいらっしゃったようですし、私はまた。それでは、向井さん、また来週」
こくんと首を縦に振ると、目黒蓮は病室を後にした。
「…今日も来てくれたん?」
静まっていた病室の空気が気まずくて、そう声をかけた。
「うん」
「もう明日には退院できるし、来てくれんでも大丈夫やで。忙しいやろ」
「暇だよ、割と」
人気モデルが何を言ってるんだと、そう言い返そうてして辞めた。
「でも毎日来てくれてありがとう。嬉しいで」
すっと渡辺翔太の人差し指が俺の首筋をさした。
「え、えなに?」
「キスマ?」
そう指摘されてから思い出して、慌てて手のひらで覆い隠した。
「ちゃうし」
「いやいや動揺しすぎだろ」
「変なこと言うからやろ」
「隠してんじゃん」
隠していた手のひらを剥がされてベッドに押し付けられた。
「なあいたいって」
「誰?」
「痛い」
「さっきの人?」
「翔太くん」
「付き合ってんの?」
「翔太くん!」
目を見開いた彼は、ごめんと呟いた。
「痛い?」
「…もう平気。まさかとは思うけど、今日雪ちゃんと約束あったりする?」
「あるよ」
ケロッと言ってのけるのも、あの人にそっくりだ。
「あるんやったらほんまになおさら早よ行って?」
「時間まだあるし」
「雪ちゃんのそばにいて」
これ以上、彼女の大切な人を奪いたくない。
「この前言ってたさ、お前のそばにいたら俺が絶対死ぬってやつ」
「…それがなに?」
「俺、深澤さんとはちげぇよ」
すっと立ち上がって、病室の出口に歩いて行った。
「え?」
「俺は死なないし、康二も雪も死なない」
ガタンっと扉が閉まって、また静かな病室に戻った。
「不死身ってこと?」
誰に問いかけたのか分からないその言葉は、静けさに溶けてしまった。
渡辺side
「今日も康二くんのところに行ってきたの!?」
「うん」
「うんって…なんで?翔太くん、仲良くないんでしょ?」
「助けになれればって、そう思っただけだよ」
フォークで肉を切りながら、橘雪は言葉を続けた。
「意外だね、翔太くんってそういうタイプだっけ?」
「知らなかったの?俺わりと優しいけど」
くすくすっと笑った彼女の笑顔を見て、ほっと安心した。
「俺、ほんとに雪の笑顔が好きだよ」
「はいはい、遊び人ゼリフ」
「違うよほんとだって」
「初めて会ったときもそうやって声かけて来やがったよね」
「来やがったって言うなって」
初めて彼女を見たとき、笑顔のかわいい人だと思った。
「その笑顔見て、一目惚れしたんだし」
「私のこと好きってなかなか変な人だよね、翔太くんは」
大きな瞳が、嬉しそうに細められている。
「そうかな」
彼女の瞳には常に意志が宿っている。
強い心と折れない芯を持つ彼女に、気がつけばどんどん惹かれていたのだ。
「嬉しいよ、ありがと」
俺には無い。
こんなに美しい心は。
「それと聞きたかったことがあったんだけどさ」
「うん?」
「深澤さんとは、いつ出会ったの?」
橘雪の瞳が揺れるのは、深澤辰哉と向井康二の名前を出したときだけだ。
「大学2年生のときだよ。辰哉くんは4年生だったの」
「雪と深澤さんが先に出会ったの?」
「ううん、私と康二くんは学部が同じで先に仲良くなって」
肉を口に運ぶ姿も優雅で気品を感じられる。
「なんで康二くんと辰哉くんが仲良くなったのかは分からないけど…私と辰哉くんにとって康二くんが共通の友達だったの」
「そうなんだ」
漆黒の髪の毛を耳にかけて、口元をナプキンで綺麗に拭う。
「なに、気になる?」
「そりゃ気になるよ、でも嫌なら話さなくていいよ」
「そんなことないよ、ただ、辰哉くんの話聞いてもつまらないでしょ?」
「それこそそんなことないよ」
いつもは丁寧に巻かれている髪の毛がストレートに伸ばされているが、それもまたよく似合っている。
「ほんとに変な人ね」
そう言って、また素敵な笑顔を見せた。
向井side
「ここで待っててください」
「いいよ自分でできるって」
「ええからここにおって!」
待合室のソファに座らされ、道枝駿佑が会計を済ませている背中を眺めていた。
「お待たせしました!」
「ありがとう、入院準備もなにからなにまで」
「なんもしてないんです、ほんまに俺は」
下を向いていると、まつ毛が長いのがよく目立つ。
「そんなことないやろ、7つも下の子にたくさん迷惑かけちゃったな」
「橘さんとか…渡辺さんが助けてくれたので、ほんまに俺はなんも」
「みっちー」
今にも泣きそうなほど、ビー玉のように綺麗な瞳を潤ませている。
「今俺はみっちーにありがとうって言ってるんやで?ほんまにありがとうな」
まるで子犬にするように、彼の頭を撫で回すと、照れたようにはにかんだ。
「はい!」
2人で帰路に着く途中、どうしてもあの人に会いたくなった。
「なあみっちー」
「どうしました?」
「俺ちょっと戻るわ」
「いやいや、なんでですか?」
俺の表情を見て、なにか気づいたように彼は目を伏せた。
「着いてく」
「え、でも」
「1人にするわけないやろ!着いてく」
「だって」
「お墓までは、着いていかんから。1人にするのが怖いだけやから」
黒い雲が空を侵食して、空気は冷たい雨の匂いがした。
「じゃあここで待ってます」
「ありがとう」
坂を上って、真っ直ぐに足を進めた。
少しでも早く足を動かして、少しでも早くあの人に会いたかった。
「どうして…」
既にポツポツと雨が落ちていて、どうやらこのまま土砂降りになりそうな気配がする。
「どうしてあなたがいるの?」
「康二くん?」
落雷の音と共に、体に衝撃が走った。
「どうしてあなたが…!」
彼のお墓の前には、橘雪と渡辺翔太、そして彼の母親の姿があった。
「あなたはここに来る資格なんてないわ!!」
彼の母親がさしていた傘が俺に向かって飛んでくる。
「すみません、俺」
「なにしに来たの!2度と辰哉に会いに来るなとあんなに言ったわよね!?」
俺に殴りかかろうとする彼女を、橘雪と渡辺翔太は必死に止めようとしてくれる。
「康二くん、もう行って!」
服に雨が染みて、気持ち悪い。
「すみません、俺のせいで、俺が」
「そうよあなたが死ねばよかったの!!」
「もう、翔太くん!康二くん連れてって!」
激しく泣き叫ぶ彼の母親の背中をさする橘雪と目を合わせ、渡辺翔太は俺の肩を抱いた。
「今日退院したばっかだろ、体調崩す前にもう行こう」
半ば強引に渡辺翔太に引っ張られながら歩いていると、歩いてこちらにやってきた道枝駿佑が血相を変えて走ってきた。
「康二くん!」
雨で濡れた俺に傘をさし出し、今度は自分がずぶ濡れになっている。
「渡辺さんも…なんで」
「その話は一旦あとだ。急ごう」
その間も、俺を怒鳴りつける声が響いていた。
「お母さん来てたんですか?」
「雪が深澤さんのお母さんに俺を紹介する約束してくれてたみたいで」
「そうだったんですね」
ソファに腰掛けている2人にコーヒーを出して、俺も腰を下ろした。
「雪ちゃんに確認してから行くべきやった。ほんまにごめんなさい」
「康二だって深澤さんに会いたかったんだろ?別に謝ることじゃねえよ」
眉を下げて微笑む渡辺翔太は優しく俺の頭を撫でた。
「…約束してたんやで、行くときは雪ちゃんに必ず連絡するって」
「できないときだってある」
「でも」
「あんまり自分を責めるな、忙しいやつだな」
再び頭を撫でられると、そのまま眠ってしまいたくなった。
「ちゃんと自分でかたつけるから」
「康二?」
この人の温かい手の温もりまでも、俺が奪ってしまいませんように。
「雪ちゃんにもあとで連絡いれておくから、2人ももう帰って?」
「康二くん今日は俺も」
「みっちーも、ありがとうな」
大切な人に、火の粉が降りかかりませんようにと願うことしか俺にはできなかった。
「ありがとう」
心からの感謝を伝えたかった。
渡辺side
「渡辺さん」
半ば追い出されるように向井康二の家を後にした俺たちは、無言のまま歩いていた。
「ん?」
その無言を破ってきたのは、道枝駿佑だった。
「渡辺さんは康二くんのなんなんですか?」
「なにって…難しいこと聞くね」
「康二くんが人見知りしてないし、前からの知り合いですか?」
本当に心の底から向井康二のことを想っているのが、その瞳からよく伝わってくる。
「少しね」
「あなたはずるいです」
「え、なにが?」
「深澤さんに似てるのが、ずるいんです」
高身長から睨みつけられているのに、なぜか愛らしさを感じてしまうのは彼の性格の良さが滲み出ているからだろう。
「ずるい、ね」
「深澤さんの面影を感じたら康二くんだって気にしないなんてできないじゃないですか」
「俺は道枝くんのほうが羨ましいけどね」
訳が分からないという顔で俺を見る彼の頭をチョップした。
「いて」
「君は道枝駿佑として見られてると思うよ」
「え?」
「俺はどこまでいっても…」
例え康二が俺を頼ってくれたとしても、それは俺を頼っているわけではないのだ。
「おっと、俺こっちだから。気をつけて帰れよ若者〜」
ささっと目も合わせずに手を振って、道枝駿佑と別れた。
少し歩いてから、すぐに道を引き返して、気づけば彼の家の前に戻っていた。
「え」
ちょうど扉を開けて家を出ようとしていた様子の彼は目を丸くしている。
「え、なんで?」
「ごめん中いれて」
混乱している瞳がまんまるで愛らしく思える。
「帰ってって言わんかったっけ?」
ドサッとソファに腰掛けた俺を睨んできた。
「康二」
「なに?」
「どうして急にいなくなった?」
だんまりしたまま答えようとしない彼の伏せられたまつ毛を見つめる。
「なにか理由があったの?」
揺れたまつ毛に触れてしまいそうだった。
・・・・・
「おいおい待て待て」
雨のなかから拾った翌朝、彼は家を出ようとしていた。
「お前帰るとこあんの?」
「…あります」
「なんだよその間は」
昨夜よりは落ち着いた表情をしているから安心したのを覚えている。
「帰るとこないならここにいてもいいよ」
「迷惑かけるし」
「別に怪しいやつじゃなさそうだし、ただの困ってる人なら助けるぐらいするよ」
それでも首を横に振る彼を見て、思わず手を伸ばしていた。
「この家に帰っておいで。俺がいいって言ってんだから」
頭を優しく撫でるとまるで子犬のようにふわふわな髪の毛に驚いた。
「できるだけすぐ出ます」
「別に急がなくていい」
ぺこっと頭を下げた彼の名前を呼ぼうとして思い出した。
「ていうか、名前は?」
「向井康二です」
「康二」
そう呼ぶと、向井康二は柔らかく口角を上げた。
彼の笑った表情を見るのは、それが初めてだった。
「あの…あなたは?」
「渡辺翔太」
「渡辺さん」
「翔太でいいよ」
「いやでも」
「俺も康二って呼ぶから」
眉を寄せ、むっと唇を突き出してから、閃いたように目を開いた。
「翔太くんて呼びます」
俺たちの1ヶ月は、ここから始まったのだ。
・・・・・
「すぐ出るって言うたやん」
「でもなんだかんだ1ヶ月はいたじゃん」
この顔には見覚えがある。
なにかを隠そうとするとき斜め上を見る彼の癖だ。
「責めてんじゃないよ、なんか理由があったのかなって思っただけ」
じーっと穴が開きそうなほどはちみつ色の瞳を見つめていると、はあっとため息を吐かれた。
「翔太くんて頑固やな」
小さな顔に、大きな瞳と唇が印象的なその笑顔は、見るだけで人を元気にさせる力があるように思える。
「そうやって笑っといてよ」
「え?」
「笑っててほしい」
頬に手を伸ばし、むにっと親指と人差し指で挟み込んだ。
「いて」
「深澤さんになろうなんて大それたこと思ってねえよ」
不思議そうな顔でこちらを見つめてくる。
「ただ康二が笑っててくれれば、俺の気持ちも晴れる」
彼の喜怒哀楽に振り回されている自分が、俺はわりと好きだったりする。
「…変な人やな」
彼はそんな人だ。
俺の太陽みたいな、そんな人だ。
・・・・・
「え翔太くん!?」
「あ、?」
向井康二がうちにやってきて数日後、俺は早速人生の転機に立たされていた。
「ベロンベロンやな」
「うるせえ」
俺がモデルの仕事を始めたのは22歳のときで、既に5年の月日が経っていた。
俺には他の男性モデルのような身長が無く、とにかく華やかさに欠け、おまけに若さも持ち合わせないために年齢制限に引っかかることもあった。
「お仕事…なんかあったん?」
憧れていただけで、俺に才能はなかった。
「しいていうなら、なんもねえんだよ」
モデルを仕事にするために、アルバイトをする生活にも、もう疲弊していた。
「それぐらい大切なんやな、モデルの仕事」
玄関に座り込んでいる俺の目線に合わせるように彼もしゃがんだ。
「うるせ」
「翔太くんはまだできるやん」
「…お前になにが分かんの?」
向井康二を拾ったとき、彼の手荷物はリュックに詰められた大量の札束だけだったので、どうせどこかのボンボンで、お金に困ったことなんて無い男だろうと勝手に思っていた。
「いやモデルさんしたことないし分からん」
「そういうことじゃねえよ」
彼はそっと俺の首筋に手を伸ばした。
「生きてるやん、翔太くん」
「は?」
彼の指を伝って、自分の拍動の音がよく聞こえる。
「急がなくてええのに」
「急がなくていいって、俺もう27だけど」
今までの5年をなんだと思ってるんだ、もう30になるのに、このまま売れずに終わったらどうするんだ、言い返したい言葉はたくさんあった。
あったのに、彼を見たら、なにも言えなくなった。
「康二?」
一筋の涙を流して笑う彼の手は震えていた。
「大丈夫か」
大丈夫じゃないのは俺のほうだ。
どうやって生きていくんだこれから。
なのに、どうして。
どうして、他人を心配してしまうんだろう。
「大丈夫だよ」
煌めいて見えてしまう。
「まじ、なんで俺が慰めてんの」
その涙の理由はなんなのか、知りたくなってしまう。
・・・・・
「康二も頑固じゃね、結構」
「せやろか」
「せやろ」
関西弁を真似て話すと、くすくす笑ってくる。
「せっかく戻ってきてもらって申し訳ないけど、俺行かなあかんとこあるから」
「どこ?送るよ」
「いやええよ」
「どこ行くの?」
さっきまで、罵倒されて雨に打たれていた人間がどこに行くと言うのだろう。
「もう!しつこいな!」
「行先ぐらい教えたっていいだろ別に」
「…カウンセリング!!!」
俺の頭にチョップをかまして、背中を押してきた。
「俺はもう出んねん!せやから翔太くんも出んの!」
「待て待て待て」
「はよしーや!」
そのとき、ピンポーンとチャイムの鳴る音がした。
「もう!」
頬を膨らませたまま玄関に向かって行った彼の後ろをついて行った。
「誰?」
「…いいからあっち行っとって」
追い払われて、しぶしぶ少し離れた場所で待機することにした。
「わざわざ来たん?」
「時間になっても来ないから」
「遅れるって言うたやろ」
「いつもそう言って来ないのは誰?」
聞いたことがある。この声を、どこかで。
「今日は行くつもりやった!ほら、着替えもしててん」
「そっか、えらいね」
「蓮くんが来るんやったら着替えなくてもよかったし」
その名前を聞いて、昨日の病室を思い出す。
「だって来ないんだもん」
「話が振り出しに戻ってまうわ」
あのとき病室にいた男だ。
「中いれて?」
「…お客さんがおる」
「道枝くん?」
「教えませーん!」
康二がドアを抑えている右腕を背後からガシッと掴んだ。
「しょうたくん!?」
「俺、おじゃま虫っすか?」
俺たち3人の目線は、そこで初めて交わった。
「…渡辺さんでしたね」
「はい」
「申し訳ないんですが、今日はカウンセリングの日で」
「はい」
「…じゃあもう行くから、翔太くんも出て」
ゴロゴロゴロと雷の音が響く。
「退院したばっかなのに、カウンセリングですか?」
「翔太くん」
「今日ぐらい休ませてやればいいのに。意外と厳しいんすね、カウンセリングって」
キッと俺を睨みつけてくるはちみつ色の瞳は、全く怖くない。
「どうでしょうね、今の向井さんに必要なのは休息なんでしょうか?」
この男の、冷えた瞳とは対称的だ。
「休息でしょうね」
彼の細い手首に力をいれて握ると、さっきから続いていた震えが止まった。
「…休みまくってんねん俺」
「別にいいじゃん」
「ううん、せやから今日ぐらい行くの、ちゃんと」
この男と話しているときからずっと細かく震えていたから、行きたくないのだとそう思った。
どうやら考えがあるようだ。
「はいはいじゃあ帰りまーす」
「すみませんね、おじゃま虫になってしまったようで」
嫌味ったらしい皮肉に言葉を返さず、すっと向井康二の瞳を見つめた。
「なんかあったら言えよ。加勢してやるから」
「いらんわ」
柔らかな笑顔を見て、今日初めて、ようやく安心した。
向井side
「今日はもううちでええやろ?上がって」
目黒蓮を招き入れると、彼は慣れたようにソファに腰を下ろした。
「康二、コーヒー大丈夫だよ、ありがとう」
俺は首を縦に動かして、隣に腰を下ろした。
「橘さんが心配してたよ」
「え?」
「最近康二くんはもっと細くなったって」
「どこで会ったん?」
「お見舞いに行ったとき」
彼はそっと頬に触れた。
「痩せた」
「ちょっとな」
「もっともちもちしなよ」
「それ蓮くんの癖やろ」
「違ぇよ健康的に!」
笑うと、まるで少年だ。
「蓮くんさ」
「ん?」
「彼女とかおらんの?」
「え、なんで?」
ぽけっとした表情で首を傾げている。
「イケメンカウンセラーなんやろ?テレビで特集されてたな」
「うん」
「謙遜しいや」
「そんなことないよ」
「遅いわ」
背も高くて顔も整っている。
カウンセラーというより、まるでアイドルだ。
「モテるやろ?彼女おるんちゃう?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「いや、せやから…」
この目に捉えられると、逃げられる気がしない。
「せやから、俺とせんくてええよ」
「なに、そういうこと?」
初めは、普通のカウンセラーと普通の客だった。
「蓮くんに頼らんでも俺」
「じゃあまたどっかのおっさん捕まえんの?」
「捕まえんわ」
ただ、俺が一晩だけの付き合いを、誰彼構わずし始めたから彼は激しく怒って止めてきた。
「寂しかっただけなんでしょ?」
「それは」
そこからだった気がする。
「それを埋めてあげたいって思ったのは俺だし」
「カウンセラーやろ、蓮くんて」
「うん」
でももう良くない。
俺はなにかに秀でた才能も、貯金も、頭脳も、特にないけれどそういうのは分かる。
「せやから辞める」
目黒蓮は、俺のことが好きだ。
「…重ねられなくなったの?」
「え?」
「深澤さんに」
ドクンと心臓が揺れた。
「別に重ねて」
慌てたようにぶつかった彼の唇は冷たかった。
「れんくん」
「黙ってていいよ」
ソファの近くに放置されていたネクタイをとって、俺の視界を遮るように目隠しをした。
「え、あれんくん?」
「大丈夫」
暗い視界に怯えながら、必死に彼に手を伸ばした。
「怖い?」
「こわい」
「でも取ったら俺だって気づいちゃうじゃん」
「え?」
「つけたままなら、俺を誰かの代わりにできるでしょ」
「そんな悲しいこと言わんでよ」
それでも俺に触れる大きな手のひらは、優しいままなのだ。
渡辺side
「康二くん大丈夫そうだったなら、よかった」
「深澤さんのお母さんも大丈夫そうなら」
「うんもういつも通りの表情だったけど…私が先に康二くんに伝えておくべきだった」
「そんなことないよ、大丈夫」
「いつも康二くんが連絡くれるから任せっきりで…これでまた2人に辛い思いさせて」
さっきも、どこかで似たようなことを言っている人がいた。
「雪のせいじゃないし、康二のせいでもない」
「え?」
「康二も似たようなこと言ってたよ。なんか2人って似てるよね」
「あは、それ辰也くんにも言われたことあるよ」
最近の彼女は、少しづつではあるが、深澤辰哉のことを話してくれるようになった。
「ほんと?なんか似てるもんね」
「そうかな」
そう言われて嬉しそうなのも、見ればすぐに分かる。
「それとさ」
「うん?」
「さっき、またって言ってたよね」
「えっと、なんだっけ?」
くりくりの瞳を見開いて考えている。
「また2人に辛い思いさせてって」
「あ、うん、そう、そうか」
泣きたくても涙が流れないような、そんな表情を浮かべている。
「お葬式の日、康二くんはもちろん参加する気持ちだったんだけど、私が止めたの」
「それはやっぱり…ご家族?」
「うん。特にお母様は康二くんを憎む気持ちが大きかったし、無理に合わせる訳にはいかないと思ったの」
でも、と言ってから言葉を詰まらせた。
「でも…一周忌には気持ちの整理がついてるかもしれないと思って、それで、康二くんが参加するのを止めなかった。ご家族に聞くこともせずに」
ぎゅーっと握られた拳を緩めて欲しくて、そっと手を重ねた。
「そこからは分かると思うけど…康二くんは今日よりもっともっと、もっともっと辛い言葉をかけられてしまって」
「…そうなんだ」
「でも康二くんはね、当たり前だって言うの。俺のせいで死んだんだから、俺が死ぬほど憎まれるのは当然だって。そして最後はいつも、俺じゃなくてごめんねって」
緩まる気配のない手を、無理やりこじ開けた。
「翔太く」
「ほら、手のひらに爪のあとついちゃってる。痛いでしょ」
優しく摩ると、やっと表情が緩んだ。
「ありがとう」
「うん、俺こそ」
ふと思い出したように、彼女は口を開いた。
「康二くんあのとき」
「うん?」
「あのとき、2回もって言ってたの。大学のときも辰哉くんを危険な目に合わせたって」
「え?」
彼女の喉を通る言葉は全て綺麗で、そんなふうに丁寧に話すところが俺は好きだ。
「私は2人の出会いを知らないから、深く立ち入れないの」
ただ、とその繊細な言葉を続けた。
「康二くんにとってはきっと戻りたい過去なんだと思うんだ」
「…そうなんだね」
支えを失ったかのように崩れ落ちていた、あの日の向井康二を思い出してしまう。
向井side
今でも夢に見る。
途中で夢だと気づいても、起きることができない夢。
「康二!」
今も彼が生きていて、俺の隣で笑ってくれている瞬間を、夢に見る。
「おいなにぼんやりしてんの?」
涼やかな目もとにふっくらした唇が印象的な顔を俺は近くで見てきた。
「またバナナ食ってんの!?」
「ええやろバナナうまいよ」
「ぼんやりバナナ食ってないで早く行こ」
長い前髪が目にかかって、よく擽ったそうに目を細めていた。
「どこ行くん?」
「飯」
「バナナ食べた」
「いやいや大学生の胃がバナナで1杯にはならんだろ」
左右で非対称な瞳と長いまつげが彼の妖艶さを手助けしているようで、好きだった。
好きだったのだ。
「ほら行こ」
そうやって手を伸ばされて気づく。
これは夢だ。
もう深澤辰哉は戻ってこない。
俺のせいで戻ってこない。
もう二度と会えない。
「コうジ」
伸ばされた白い腕がボロボロと崩れていく。
「やだ、行かないで」
必死に拾い集めても、溶けてなくなってしまう。
気づけば跡形もなく、骨だけが転がっている。
「ふっかさん」
その声が響いて、目を覚ます。
「康二!?」
「え、佐久間くん?」
出会いも別れも、そして再会も、いつだって突然訪れては人生に嵐をもたらすものだ。
to be continued.

