康二side


 紫色のネオンが輝く交差点の先に、光と闇の狭間が現れる。

 カウンター越しに差し込む光がお客さんの頬を照らし、俺をより妖艶に見せる。

 香水と酒と煙草の匂いが入り交じる裏通りからすぐのこの店は、俺の唯一の居場所だった。


 「康ちゃん、お客さん」

 「俺?」

 「うん」


 俺が10年間身を置く夜の街は、今日も夜風にのって流れる音楽と、笑顔と嘘で溢れている。生と死の狭間にいるかのような、生々しさを感じさせるこの街が、俺は好きだ。


 「ココ最近、ずっと康ちゃんを探して来てくれてたのよ。でも康ちゃん忙しくて来れてなかったでしょ?」

 「せやな、じゃあちゃんとお迎えしてくるわ」


 ママの店で働くボーイは俺を含めて3人だけで、小さな店である。俺は、休憩がてら2階で眠りに落ちていたところだった。


 「呼んでくれましたか?俺のこと」


 ママに指さされる人の背中にそう語りかける。


 「あの」


 店の灯りが揺れるなか、大きな背中が振り返って、綺麗な顔立ちの男性が俺をとらえた。



 「呼びました」


 漆黒の瞳には俺だけが映し出されている。

 長く伸びるまつ毛の先端が、彼の美しい顔に影を落とすようだった。


 「座ってください、こっち」


 俺を手招きする手に素直に従って、彼の隣に腰掛けた。


 「俺のこと呼んでくれてありがとうございます。お兄さんお名前は?」


 鼻筋はすっと通っていて、引き締まった彫刻のように端正な顔立ちに自然と目が奪われてしまう。


 「目黒です。目黒蓮」

 「目黒さんか」


 夜の歓楽街には似つかわしくない存在で、俺はどこか距離を置いてしまいたくなった。


 「蓮って呼んでください」

 「…蓮くん?」


 その瞳が酷く冷静で深く澄んで見えるから、誘惑して楽しませるべき俺も、少し緊張してしまう。


 「くんって歳でもないけどね」


 周囲がざわめく夜、彼だけは静かにただ俺のそばで酒を飲む。


 「あは、そんなことないやろ?多分俺よりは若いよな?」

 「俺26だよ」

 「俺28やもん、アラサー」

 「若く見えるね」

 「そう?それ言うなら蓮くんもやけど」


 あはは、と笑う彼の笑顔は想像よりも幼くて無邪気に見えた。


 「俺、自己紹介してないな?康って言います、28歳で、うーん、なんか聞きたいことある?」

 「好きな食べ物は?」

 「あは、質問子どもやなあ」


 蓮くんの赤らんだ頬に人差し指を押し当てると、また淡く色付いた。


 「なんでもすき。1番は特にないかも」

 「なんでもすきはズルいよ」

 「なんで?選べないんやもん、しゃーないやん」

 「なんでもすきは、なんにもすきじゃない、なんだよ」


 なんにもすきじゃない。

 康二くんは俺のことを1番好きじゃない。

 みんなのことが1番好きなんでしょ。

 そう言って去ってしまった広い背中を、今も鮮明に思い出せる。


 「せやな、ずるいな」

 「あはは、素直だね康くん」

 「…蓮くんイケメンさんやから、緊張しちゃうわ。笑わんといて」

 「なんでだよ理不尽だな」


 彼が、琥珀色のウィスキーが入ったグラスを手に取り、1口飲むと、喉が大きく動く。


 「蓮くんお酒強い?」

 「強くない」

 「ほんま?凄い飲んでるから」

 「康くんも飲んで」

 「うんええよ、俺はお酒強いから」


 蓮くんが差し出したグラスを受け取り、そのまま口に流し込んだ。


 「あは、関節キスやん、照れるな?」

 「康くん」

 「ん?」

 「俺、ここに来るの初めてじゃなくて」

 「そうなん?」


 紫色のライトが良く似合う表情に変わってきた。緩んだ頬は赤く火照って、まどろむ瞳が俺を捉えて離さない。


 「会社の先輩に連れてこられてここに来て、康くんを見たんだ。そのときは康くん潰れてて、話せなくて、でも」


 真っ直ぐに俺の頬に伸びてきたその手は、思ったよりも大きくて温かかった。


 「れ」

 「綺麗な人だと思って、話したかった」


 目元が泳いでしまう。

 

 「ずっと会いに来てたけど、いなかったから、今日は、嬉しい」


 頬を撫でるその手があまりに優しいから、言葉を発せずに動きを止めてしまった。


 「話したら面白い人だし、魅力的すぎるね、康くん」


 俺の頬をつまんで、無理やり口角を上げてきた。


 「ん、いたた、なに」

 「また会いに来たい、いい?」


 きっと、誠実な人だ。

 華やかな夜の街の小さな店で働くボーイに、こんな風に触れる人は、この人だけだろう。


 「ダメなわけないやん」

 「良かった」


 安心したように俺の頬から離れたその手を、俺は思わず掴んでいた。


 「ん、康くん?」

 「これから用事あるん?」

 「ないよ」

 「じゃあ一緒に一晩おる?」


 目をぱちくりさせて、俺の瞳を凝視している。


 「それ、セールストーク?仕事の延長のやつ?俺、本気で康くんのこと」

 「蓮くん次第やん。仕事の延長がいいん?それとも」

 「今日だけになるのは、俺はやだ」


 夜の街にはそぐわない彼の存在が、いつの間にか溶け込んで、俺のせいでこの街に染まりそうになっている。


 「わがままな子や」


 ぽんぽんと頭を撫でて立ち上がると、彼は俺を呼んだ。


 「康くん」

 「もうあがるから、代金払って外で待ってて」


 蓮くんがモンスターだって、俺はまだ知らない。






 「康くん、体、痛くない?」

 「…いたい」

 「ごめん、無理させた」


 シーツにくるまる俺を後ろから抱きしめる大きな体の安心感は、どこか懐かしかった。


 「蓮くんさ」

 「康くん、俺と付き合いませんか?」


 密着した肌から、心臓の音が聞こえる。

 自分のか、蓮くんのものか、両方なのか、飛び出そうなほど高鳴る心臓の音が耳に悪い。


 「な、え」

 「こっち向いて」


 腕を引っ張られて、くるんと向きを変えられる。


 「れんく」

 「俺、康くんが好きです」

 「きゅ、急やな」


 俺のことをあまりにも愛おしそうに見つめているのがわかるほど、熱い瞳が揺れている。


 「俺じゃだめ?」


 身体中が暑くなって、自分でも頬が赤らんでいるのが分かる。


 「順番が、違ったかもしれない、ごめん」


 俺が俯いたのを見て、彼はそう言って俺を抱きしめた。ふわっと鼻に届くのは、爽やかで清楚な花の香り。


 「ごめん、康くん、顔見せて」


 両手で顔を覆った俺の手首を掴んでベッドに押さえつけると、そのまま俺の上に跨った。


 「…見やんといて、真っ赤やろ」

 「…うん、真っ赤」


 隠す術を失った俺は、真っ赤な頬を彼に見せるしかなかった。


 「俺、康くんのこと絶対大切にするよ、幸せにする。だから」

 「蓮くんと付き合ったら幸せなのはわかる」


 そう言うと、手首を掴まれる力が弱まった。


 「せやけど、俺は幸せになったらあかんから、ごめん」


 首を傾げて、俺の頬に触れた蓮くんの手は、簡単に俺を包み込む。


 「どうして?」

 「…神様に、顔向けできないから」


 きょとんとした蓮くんを見て、思わず笑ってしまう。


 「あは、もう寝よ?俺疲れた」

 「…そうだね、無理させてごめん」

 「ううん」


 これで終わる。

 彼のそばにいると、幸せを感じてしまう。

 俺にとって、それは神の禁忌に触れることだった。











・・・・・


 「康二くん」

 「ラウ、来れたんや。撮影って言うてたやん」

 「ふふふ、終わったんだよ」

 「え、早ない?」

 「完璧すぎたんだよ、俺が」

 「…そうやろな」

 「あ、なにその顔」


 こめかみのあたりをぐりぐりと拳で攻撃してくるのは、8つ下の恋人。


 「もーいたい」

 「バカにするからでしょ」

 「してないやん」

 「してましたぁー」

 「ほら、ラウール大先生、どいて」

 「えー疲れたんだけど俺」

 「分かってるけど、ほら」


 190cmの巨体を持ち上げることは俺には勿論できないので、両手をとって立ち上がらせようとした。


 「康二くん、俺今日も頑張ったね」

 「それ俺が言うやつ」

 「だって言ってくんねえじゃん」

 「頑張ったな、ラウちゃん」


 ぽんぽんと頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。

 太陽が良く似合うその笑顔を、カメラの中に留めておくのは惜しかった。


 「康二くん」

 「ん?」

 「俺のこと好き?」

 「好きやで」

 「1番?」

 「当たり前やん」


 18歳、190cm、ハーフ、モデル。

 神様から愛されたに違いないポテンシャルを持つ彼は、俺の恋人だった。


 「世界一ってことだよ、俺が言ってるのは」

 「世界一に決まってる」

 「ほんと?」


 18歳とは思えないほど大人びていて、18歳とは思えないほど冷静で慎重な彼も、俺の前では幼く不安げな表情をよく浮かべる。


 「俺はラウールのこと、神様に愛された子だと思ってる。神様が愛した子を、俺にプレゼントしてくれたんやろなって」


 誰もが持つわけではない長い四肢と、彫りの深い美術作品のような顔。何気ない立ち姿さえも舞台のワンシーンに変えてしまう存在感は圧倒的だった。


 「せやから世界一、当たり前」


 目を惹いて離さない白い肌と黒曜石のような瞳が、彼の美しさをなお引きたてている。


 「そっか、うふふ、そっかそっか」

 「なんやねん、自分で聞いたんやん!」

 「嬉しい康二くん、俺嬉しいよ」


 長い腕が俺の首に回って、その引力に抗うことはもちろんできないままに、引き寄せられる。


 「康二くんが褒めてくれると、俺は嬉しい」


 後頭部を柔らかく撫でてくれる大きな手のひらから温かさを感じる。


 「大袈裟な子や」

 「それぐらいがかわいげあるんだよ、康二くん知らないの?」

 「ラウはそんなことせんでもかわいいよ」



 あまりにも優しく触れてくる彼の手が、俺はかわいくて仕方なかった。

 尊くて、愛おしくて、守りたくて、俺の世界の中心には彼が大きく手を広げて立っていたのだ。


・・・・・











 「康ちゃん、今日も蓮くん来たよ」

 「ほんまぁ?じゃあ交代しよか?」

 「そうね」


 働きっぱなしだったボーイと交代して、2階から降りてきた俺を見つけた瞬間に、蓮くんは大きく手を振って見せた。


 「蓮くん、今日もありがとう」

 「会いたかったから」


 今日も、彼の存在は夜の街から浮いている。

 白いYシャツにはアイロンがかけられていて、これから大切な会議でも控えていそうな装いなのに、隣にいるのは、俺だけである。


 「蓮くんもう酔ってない?ここ来る前どっか寄ってきたな」

 「うん、先輩に連れてかれて」

 「蓮くん、先輩に連れ回されてるなぁ」

 「ありがたいことだよ」


 蓮くんがここに通うようになって、気づいたことはいくつかあった。


 「連れてかれてとか言っとるくせに?」


 彼は大人びた印象を受けやすいけれど、本当は誰より子供っぽい。


 「そりゃ早く康くんに会いに来たかったに決まってんじゃん、まぁ、断れないから」

 「力ないんや」

 「うん」

 「先輩怖いん?」

 「怖くないよ、めんどいときが多いだけ」


 あはは、と声に出して笑っていた。

 蓮くんは脳みそと口が直結しているように、雑な言葉選びをするときがあるから、子供っぽさを感じて愛らしい。


 「頑張ってるんやな、毎日」

 「康くんも」

 「蓮くんには敵わんよ、毎日ほら、ビシッとな」


 襟を指さすと、ははっと今度は蓮くんが頬を緩めた。


 「苦しいよ、俺もほんとは嫌い、こういうの」


 ほらな、素直な子だ。


 「でも似合う」

 「ほんと?」

 「似合うよ、嘘ついてどうすんねん」

 「確認したかっただけ」


 あの夜以来、彼が俺と関係を持とうとすることはなく、ただ会いに来る。

 俺に会う為だけに、この街を訪れるのだ。


 「康くんさ、雑誌とか読む?」

 「雑誌?うーん、あんま読まんけど…店に置いてあるのは読むかもな」

 「じゃあいらないか」

 「ん、なにが?」

 「今日同僚から雑誌もらって、ファッション誌だから康くん興味ありそうだなって」


 カメラと服と料理が好き。

 蓮くんには1度だけそう伝えた事があった。


 「覚えてたん」

 「普通だよ、忘れなかっただけ」


 蓮くんが黒いカバンから取り出した雑誌の表紙を見た瞬間、時間が止まったような気がした。


 「康くん?大丈夫?」

 「あ、うん、あは、大丈夫」



 メンズファッションモデルの枠に留まらなかった彼は、今や世界的なランウェイをも颯爽と歩くモデルへと成長していた。


 「…なに、もしかしてこのモデルがタイプ?」

 「え、ええ、なんで?」

 「じーっと見つめてるし」

 「そう?蓮くんのこともじーっと見とるよいつも」

 「はいはい、お世辞は結構です」

 「なんでやねん」


 俺に手渡した雑誌を奪い返して、穴が空くほど見つめ出した。


 「ちょ、おーい、れんくーん」

 「確かに、かっこいいけど」

 「いやいやまだその話?もうしまって!」

 「待って参考にするから」

 「いやなにがやねん」


 再びやってきたお子ちゃまタイム。

 自分の意思通りに行動しないと気がすまないのだ。

 大人らしく静かな見た目とのギャップに驚かなくなったのは、最近のことだ。


 「あ、ほら書いてる書いてる」


 そのモデルを紹介する5行ほどの文を見つけて、指をさし始めた。


 「もう、好きにしてぇ」

 「ラウール…え今20だって、大人っぽいね」

 「…へぇ」


 20歳。

 彼と別れて、もう2年も経つようだ。


 「パリコレとか出てるらしい」

 「もー蓮くん何しに来たん?このモデルさんの話しに来たんとちゃうやろ?康くん暇なんやけど!」

 「だって康くん、この人のこと知ってるよね」


 俺を射抜いてしまいそうな鋭い視線に、思わず息が止まる。


 「…なんで?」

 「康くんの手帳に挟まってる写真、この人だよね?あれ康くんと2人の写真でしょ」

 「なんで…」


 俺が肌身離さず持ち歩いているオレンジ色の手帳には予定など何一つ書かれていない。

 ただ、1枚だけ挟まれている写真がある。


 「康二くん」

 「…え」

 「向井康二くんなんでしょ?」


 この人は、まるで嵐を呼ぶモンスターだ。


 「…端っこの席に移っててくれん?ここでその話、できやんから」

 「うん」


 ママに目線を送ると、こくんと頷いてくれる。

 彼が端のソファに移動しているあいだ、新しい酒を作りながらラウールのことを思い出していた。











・・・・・


 「康二くんさ、今日の撮影終わったら泊まっていいー?暇だからさ」

 「ラウ、ほんまに受験せんの?頭ええのに」

 「しないよ、受験勉強してる場合じゃないから」

 「でも…なあ阿部ちゃん、なんとか言って!」


 俺の写真の仕事が多いときに手伝いに来てくれるのは阿部亮平、高校時代の友達だった。


 「何とかって言われても…ラウールが決めたことなら何も言えないよ?」

 「でも阿部ちゃん大学出てよかったって思うやろ?お仕事の幅も広まるし!」

 「うんそれは間違いないね、ラウールの世界は広まるんじゃないかな、大学に行くことで」

 「ほら!ラウ、考え直したら?まだ間に合うやろ?」


 ソファに腰を下ろすラウールは、彼の膝の横に座る俺の髪の毛をくしゃくしゃと撫でてくる。


 「モデルもしたいし、康二くんとも一緒にいたいし…大学も行ったら、時間ないよ」

 「ないことないよ、作るもんやん時間は」


 ラウールのモデルとしての才能を疑ったことは一度もない。それでも、ここまで大学進学を進めるのには訳があった。


 「でも」

 「ラウは可能性に溢れる子やで、モデルひとつに絞るのはまだ早いよ」

 「…でも」

 「別に大学生になって忙しくなったら、俺がお世話してあげるから、大丈夫」


 無限の可能性を秘めるラウールの未来を見てみたいとそう思わせてくれる存在だったのだ。


 「…言ったね」

 「言ったよ」

 「分かったよ、考え直す」

 「よかった、そうして!」


 ニコッと笑うと、ラウも嬉しそうに微笑んでくれる。


 「はいはい、2人ともこっち見て」

 「えなに?」

 「試し撮り、ほらハイポーズ」



 俺が手帳に挟んでいるのはこの世に1枚しかない、この写真だった。


 「お、出てきた出てきた」


 カメラから出てきたフィルムを、阿部ちゃんは俺に手渡してくれる。


 「お、康二くんいい笑顔だね。俺のおかげで」


 ひょいと俺からその写真を奪いとると、ラウはペンを手に取った。


 「ちょちょちょ、ラウなにすんの?」


 写真を裏返して、向井康二と俺の名前を書き出した。


 「なにしてんねん」

 「あ、ちょっと待って」


 その下に、ラウール、と付け足すと満足そうに口角を上げている。


 「ほんまになにしてんの?」

 「康二くんがおじいちゃんになっても名前忘れないようにね」


 神の子は、わがままで自由で豪快だった。

 俺には無い、その強さにいつも惹かれていた。


・・・・・











 「んで、なんで勝手に見たん?」

 「勝手に見たのは…ごめん。でも、落ちてたから、気になって開いた」

 「いつ見たん?手帳は持ち歩いてないから…」

 「うん、初めて話した日。俺が先に起きてシャワー浴びようとしてたとき」


 悪ガキすぎる。


 「蓮くんさ、いつから俺の恋人に…」

 「俺は」

 

 俺の頬に伸びた手が、途中で止まる。


 「俺は康二くんが好きだよ」


 康二くん。

 好きだよ。

 康二くんは?俺のことが世界で1番好き?


 「康二くん」

 「康二くんて、呼ばんといて」


 康二くん。

 康二くんに撮られるのが俺は1番好き。

 康二くんは俺を綺麗に撮るもんね。


 「…康二」

 「…そうして」


 康二くん。

 康二くん泣かないで。なんですぐ泣くの?

 悪くないんだから泣く必要ないでしょ?


 「康二のなかに、別の人がいても、俺は諦めないよ」

 「どうして?どうしてそんなに、俺を」

 「好きだからに、決まってんじゃん」

 「物好き」

 「そうかな」


 その人のこと、まだ好き?

 恐る恐る聞くような震えた声で、蓮くんは尋ねてきた。


 「いつまでも応援してる」

 「好きだから?」

 「ラウのこと傷つけたから」

 「え?」

 「ラウのこと傷つけたから、俺だけ、俺だけ幸せにはなれん」


 彼の手が俺の手を包んでから気がついた。

 小さく震える俺の手を安心させるために握ってくれていることに。


 「教えてよ、康二の全部」

 「嫌われる」

 「嫌わないよ」

 「嫌われたくない」

 「嫌われたくないぐらい俺が好きってことでいい?」


 初めて貴方を見たとき、夜の街には相応しくないから目を引かれるのだと思った。


 「分からん」


 胸の中がきしむような音がして、その音に気づかないフリをした。

 18歳のラウールが、俺に縋って泣いている気がして、目黒蓮に向き合うのが怖かった。


 「分からんけど、嫌われるのはいやや」

 「嫌うわけない」


 涙が溢れそうになるのを我慢して、俺は息を吐いた。


 「俺は17歳のラウールと出会って1年だけ恋人同士だった。ラウールが丁度、高校を卒業する頃に、別れたよ」

 「どうして?」


 康二くんの、嘘つき。


 「俺が嘘つきだから」

 「え?」


 俺が1番って、言ったくせに。











・・・・・


 「…康二くん、今日もお店出るの?」

 「うん、お金ない」

 「やめてよ、大人の現実すぎて、夢ないな」

 「カメラ続けたいし、お店の人も優しいし、給料いいし!頑張れるから夢あるやろ」

 「お金だけが理由なら、もうお店辞めなよ」


 12月。大学に進学することを決めたラウールは受験勉強に励んでいた。


 「お金だけじゃないで、ママに恩もあるから」


 俺は18歳のときにママに拾われて、あの店で働くようになった。ちょうどラウールと同じ歳のことで、そう思えば彼は俺よりずっと大人びていた。


 「…じゃあ俺が嫌だから辞めてよ」

 「どしたんラウ、勉強しすぎて疲れとるんやろ」


 優しく頭を撫でると、手首をきつく掴まれる。


 「いてててて、ラウ、痛いから」


 俺も背は高いほうだが、さらに15cmは大きいラウールが覆いかぶさられると、すっぽりと隠れてしまう。


 「じゃあ今日は休んで」

 「んもーなんやねんラウ、どうしたん?」

 「お願い」

 「…分かったから、離して?痛いよ」

 「俺が1番なんでしょ?」

 「そうやで」

 「じゃあ俺にこんなこと、言わせないでよ」


 滅多に涙を見せないラウールが、俺の頬に涙を落とした。


 「ラ」

 「康二くん」

 

 ぎゅーっとしがみつかれて、首筋にラウの唇が触れる。


 「ラウ」

 「康二くん」

 「ごめんラウ、ラウの気持ちちゃんと考えられてなかったな、ごめん」


 彼がこんな風に感情を顕にして俺に向き合うことはないので、落ち着かせるようにそっと背中を撫でた。


 「…俺もごめん」


 そう言っても体重を俺にかけたまま、起き上がろうとはしない彼を抱きしめ続けた。


 「康二くん、いい匂い」

 「あは、そう?」


 大きな体と成熟したように見える心に騙されて、彼がまだ18歳であることを俺は忘れていたのだと思う。


 「いいよラウ」

 「…ん」

 「俺が悪かったから、ラウは悪くないよ、だから」

 「ううん」


 ぱっと顔を上げて、俺の目を見つめる瞳には漆黒の炎が揺れている。


 「俺、めんどくさい?」

 「そんなわけないやろ」

 「だるい?」

 「そんなことないって」

 「…怖い?」


 ラウールのことが怖くないと言ったら、それは嘘だった。

 長い手足と、大きな背丈に美しい顔には、畏怖の念さえ抱いていた。


 「怖いけど、怖くない」

 「意味わかんない」

 「怖いのが心地いいんやで」


 ラウールはまた、俺の首に腕を回して、しがみついてきた。


・・・・・











 「俺がラウに甘えすぎてたんやと思う」

 「違うでしょ、それ」

 「え?」

 「好きな奴がやりたいこととか、追いかけてる夢ぐらい、心から応援できなきゃだめなんだよ」


 どうしてこの男は、俺から目を逸らさずに、ただひたすら真っ直ぐ見つめてくるのだろう。


 「それは、」

 「俺もそう思う」

 「え」


 最後に聞いたときよりも少し低くなった温かみのある声は、すぐに誰から発せられたものなのか分かってしまった。


 「久しぶり、こーじくん」


 振り返った俺を見て笑う彼は、やっぱり神の子だった。



 「…ラウ?」


 動揺する俺を見て、もっと楽しそうに笑う。


 「…ラウ」

 「そうだよ、康二くん」


 するっと俺の頬に伸びてきた大きな手に包まれると、身動きが取れなくなる。


 「その綺麗な子、康ちゃんに会いに来たっていうから」


 ママが俺を見て柔らかく微笑んでいる。


 「ねえ康二くん、戻ってきたよ俺。おかえりは言ってくれないの?」


 ビー玉のように透き通った瞳に吸い込まれそうになる。


 「康二」


 蓮くんがラウの手首をガシッと握って、頬から手のひらが離れたとき、はっと意識がここに戻ってきた。


 「…いったぁ、なにするんですかー」


 俺を挟んで目を合わせる2人を見て、慌ててラウの手を掴んだ。


 「ラウ」

 「ん?なぁに」

 「ここに来たらあかんて、前言ったやろ?」

 「18の俺にね、俺もう20だから」


 白い翼が生えた神の子は、これまで以上に自由に羽ばたいているようだ。


 「…康二くん、この人と付き合ってるの?」


 小さく首を横に振る。


 「俺の」


 すると蓮くんが俺の頭に手を置いて、口を開いた。


 「俺の片思いです」


 心臓が早まるのが分かる。


 「…じゃあ間に合ったよね、俺」

 「え?」

 「俺、康二くんを迎えに来たんだよ。康二くんにふさわしい人間になって帰ってきたんだよ」


 俺が永遠に守りたかった神様のような貴方。


 「康二」

 「れ、」

 「康二には俺がいいと思うよ」

 「…それは」

 「神よりモンスターの方が、康二はずっと好きになるよ」


 嵐のように現れて、俺の生活を変えたモンスターのような貴方。


 「俺」 

 「ねえ康二くん、今日は俺と一緒に帰ろ?」

 「それは」

 「…話したいこといっぱいあるのに。2年分も」


 俺はずっと、その瞳に弱かった。

 瞳の中に星を飼っているようで、眩しくて、だいすきだった。


 「分かった」

 「康二」

 「ごめん蓮くん、また明日話そう」

 「…約束して」

 「当たり前やん」


 白と黒。

 俺は正反対の2人の色に飲み込まれそうで、少し怖かった。





to be continued.