向井side











・・・・・


 そこは、俺とふっかさんが出会った秘密の場所。


 「カフェとかじゃなくてよかったの?」

 「うん」

 「川原って寒くない?…ていうか、体調悪いんじゃない?」

 「なんで?」

 「白いからだよ」


 俺より白い人に言われたくないんですけど。


 「へーきやで」


 ずっと胸がドキドキうるさくて、耳を傾けるのも疲れてしまう。


 「…結婚とかしてねぇの?」


 また。

 爆発しそうな鼓動を抑えるのに必死だ。


 「なんでそんなこと聞くん」

 「康二」


 名前を呼ばないで。


 「康二」

 「やめてや」


 気づかなかった。

 自分が泣いていることにも。


 「康二、泣かないで」


 ボロボロ零れて止まらない涙を、ふっかさんは拭おうとしてくれた。


 「ふっかさんの声、あかんわぁ」


 懐かしい香り、好きだった人の香り。

 思わず抱きついたとき、今まで感じたことのない幸福感を覚えた。


 「…康二」

 「拒絶しやんで」

 「しねぇよ」

 「ふっかさんは嘘つきやから信用ないで」

 「…ごめんな」


 わかってる。

 一瞬の幸せ。選んではいけない幻の瞬間。


 「康二」

 「…ん」

 「好きだよ」


 落ちてしまう。

 わかってた。


 「ならなんで、なんも言わんと、約束破ったん?」


 俺が高校卒業を迎える前日、【明日会いに行くから待っててね】と連絡が来ていた。

 それなのに、いくら待っても、日付が変わっても、彼が会いに来ることはなかったのだ。


 「康二が泣くとこ、見たくなかったんだよ」

 「え?」

 「お前、俺のこと大好きだろ?だから絶対泣くと思ったんだよね」


 自信満々に口角をあげる彼を思わずどついた。


 「いたっ」

 「自信があるのはええことやな」

 「はははっ、そーじゃなくて」


 一転して真剣な顔つきに変わるから、またドキドキしてしまう。


 「俺もまだガキだったから、康二になにも言わないでいなくなることぐらいしかできなかった」

 「意味わからん」

 「お前が泣いてるの見るのも嫌だし…だから、俺の勝手だよな」

 「なんでふっかさんは急におらんくなったの?」


 まだ大学2年生だったはずなのに、どうやら大学を辞めたらしいと、風の噂で聞いていた。


 「康二には言ってなかったけど、俺、IT会社の社長の一人息子なんだよね」

 「え!?」


 こんなに庶民的なふっかさんが!?


 「失礼だなお前」


 あかん、声にでてたみたい。


 「だから…俺と一緒にいても康二を幸せにできないから」

 「そんなんふっかさんが決めることじゃないやろ?」

 「一緒にいたかったよ、でも、父さんが」


 お見合いを勧めてくるから断るので手一杯で、とふっかさんは儚げに笑った。


 「お見合い…?」

 「康二と一緒にいたいなんて言ったら、父さんは康二になにするかわかんないからさ」


 頭の整理が追いつかない。


 「俺のためなん?」

 「そんなかっこいいもんじゃないですよ」

 「ふっかさん」

 「ん?」


 いつの間にかふっかさんに抱きついていた。




 「ごめん」

 「ふっかさん」

 「康二」


 キスしそうな距離まで顔が近づくけど、決して唇を重ねることはなかった。


 「すきや」

 「うん」

 「すきなのに」


 抱きついている彼から、優しい香りがする。


 「康二、好きだよ」


 甘い、溶けそうになる、キャラメルみたいな声。


 「でも、結婚してんだろ?」

 「静かにして」


 今はもう、考えたくなかったから。


 「俺、ほんとに康二のこと好きなんだよ」

 「約束破ったくせに」

 「俺は高校のときから今も変わってないよ」

 「…ふっかさん、」


 彼を遠ざけようとしてるのに、必死に引き止めようとするから、また沼にハマっていくような感覚になる。


 「ずっとそばにいてやりかった。俺が康二のそばにいて支えてやりたかった」

 「…うん」

 「俺じゃない人が康二のそばにいる未来なんて、高校んときは考えてもなかったよ」


 今にも泣きそうなふっかさんの顔を、俺はそのとき初めて見た。


 「…ふ、かさん?」

 「お前のその首…!俺が見たときどう思ったと思う?」

 「え、?」


 再び俺の首筋に手を伸ばしたふっかさんの瞳はあの頃と同じアーモンド型。


 「でもそんなの俺に言う権利ないから…!お前が幸せなら俺はそれで…なのに!」

 「ふっかさん、」

 「なのになんで死にそうな顔してんだよ」


 ふっかさんの頬をツーっと一筋流れた涙を俺は久しぶりに見た。


 「泣かんといてやぁ、もう、なんで泣くん?」

 「お前が泣いてるから…」


 そう言われて自分も泣いていることにようやく気がついた。


 「お前は泣き虫だから」


 変わんないねぇと言って、俺の頬を撫でた。


 「誰に泣かされたの?」

 「…あんたやな」

 「それは間違いない」


 目を合わせてくすっと笑った。


 「で?ほんとは結婚してんの?」

 「やたらそれ聞くやん、さては知ってんねやろ?」

 「知らねぇよ、なんとなく、そんな気がしただけ」


 言いたくなかった。

 去年結婚しました、なんて。


 「まぁ、いいよ。お前が幸せなら」

 「ふっかさんは…結局結婚したん?」


 お見合いを断るので手一杯だったって、さっき言ってたけど。

 でも、俺より2つ年上のこの人は、26歳やから結婚してておかしくない。


 「してない」


 ふっかさんの綺麗な手の指には、指輪の姿はなかったし、跡も残ってなかった。


 「そっか」


 その日、俺たちは会えなかった6年間を埋めるように、ただただ話をしていた。


 「もし辛くなったら、ここに来てもいいよ」

 「え?」

 「曜日決めれば、俺はここに来るようにするから」

 「…そんな迷惑かけたないもん」

 「旦那になんかされてんのか?」

 「…旦那って」

 「薬指に跡がついてる」

 「ふっかさん、」

 「なんかされてんなら、俺」

 「俺は…あの人の言うこと聞くって決めたから!」

 「…え?」


 ふっかさんにこんなこと言いたくないのに。


 「…毒旦那?」

 「ふふはっ、毒旦那って」


 真剣に言ってくるふっかさんがまた面白くて、思わず笑ってしまった。


 「笑いごとじゃねえよ」


 急にぐいっと体を寄せられ、頬に手が伸ばされた。


 「ふっかさん、?」

 「ほら、目が真っ赤」

 「なぁもう触らんといてって」

 「痛いだろ」


 腫れた瞼を優しく撫でた。


 「いった!余計いたい!」

 「なんで泣いたの?」

 「なんもないよ」

 「じゃあなんで赤いんですか?」

 「わからん」


 はぁーっと深いため息を吐いたふっかさんの顔を見れんくなってしまった。


 「嘘つくな、俺にまで」

 「…俺が悪かったんよ、せやから」

 「いくら康二が悪くても、なんで辛い思いしなきゃいけないの?」


 あぁ、恋しい。

 とっくの昔に卒業できたと思っとったこの人の声が、笑顔が、言葉が…全て恋しい。

 いつも俺を一番に考えてくれてるのが、俺にもわかる。そんな言葉を使ってくれる人。

 そんな深澤辰哉だけが、俺のヒーローや。


 「ふっかさん」

 「ん?」

 「あんただけは特別や」



 たった3年付き合っていたふっかさんとの思い出が輝き続けていたから、俺はこれまで頑張ってこれた。俺の心の中に棲んでいる彼が、ずっと心の支えだった。


 「俺は悪い子やな」

 「そんなことない、悪いのは俺だよ」


 ふっかさんはいつも、俺をまるごと受け止めて、否定することはない。


 「なんでなんかな?」

 「なぁにが?」

 「6年も会わんかったのに、また会えた」

 「運命かな?」


 いたずらに笑うふっかさん。

 昔の面影を残したまま、でも大人びた顔つきで、見とれそうになる。


 「会えてよかった」

 「俺も、また会えて良かった、本当に」


 ふにゃっと笑って、俺を抱きしめた彼の温もりについ心を許してしまった。

 それでも、どうでも良かった。

 この人は、深澤辰哉。

 俺の宝物やから。


・・・・・











 「こうちゃーん!!」

 「はいはいはいどーしたん?」

 「これあげる!」


 ひなたが俺に手渡したのは、クローバーやった。


 「どこで拾ったん?大きいなあ」

 「んふふ、こうちゃんにおっきいほうあげる!うれしい?」

 「俺に、嬉しくなってほしかったん?」

 「うん!」


 ぎゅっと俺の手を握り、そのアーモンド型の瞳をくっきりと開いた。


 「ありがとう、ひなた。愛してんで」

 「それとね、こうちゃん」

 「ん?」

 「これ、こうちゃんの?」


 そう言ったひなたが差し出したのは、1枚の写真やった。


 「ん?」

 「これ!」


 それは、カメラを見つめる深澤辰哉の肩に俺が頭を乗せている写真やった。



 「おっとっと、どこで拾ったん?」


 ひなたの手から優しく取り上げる。


 「こうちゃん!」

 「え?」

 「こうちゃんからおちてきた」


 メモ帳に挟んでいた写真。


 「そうなんや、ありがとう」

 「そのひと、だれ?」

 「…こうちゃんやで」

 「わかってるよ、こうちゃんのとなり!」


 ひなたは、ふっかさんに似ている。

 俺にも似てるけど、俺はふっかさんのほうがより似てると思う。

 特に、目と口の形。


 「大切な人」

 「たいせつ?」

 「うん、大切な人やで」

 「たいせつって、だいすき?」

 「うーん、そうやなぁ。だいすきともちょっとちゃうかもな」

 「むずかしい」


 困惑しているひなたの頭を撫でた。


 「おなまえは?」

 「…教えん」


 教えたらだめな気がした。

 俺が、生涯必ず守り抜く、宝物の君には。


 「おしえて!」

 「あかーん」

 「おなまえだけ!」


 普段はすぐ折れるひなたが、どうしても名前を聞きたがっている。


 「なんであかんの!」


 ちょっと移っている俺の関西弁も、とってもかわいらしくて愛おしい。


 「わかったわかった、お名前だけな」

 「うん!」


 教えてあげようと思った。

 ひなたがこんなに粘るのは、初めてやから。


 「ふかざわたつや、やで」

 「ふかざわたつや」


 嬉しそうに呟いた、ひなたの本当の父親の名前。

 ごめんね。ごめんなさい。


 「たつや!」


 あの日、彼がくれた宝物。

 あの日ががなければ、ひなたは俺のもとにやって来てくれなかった。


 「それ、誰?」

 「ぱぱや!おかえり!」


 不穏な空気とともに、めめの足音が聞こえてきた。


 「めめ」


 こんなに早く帰ってくるなんて、いつぶりやろ?


 「おかえり、早かったな」

 「誰?」

 「えー?なにが?」

 「それ誰?」


 なんとか逃れようとしている俺の手首を掴んで、写真を奪い取られた。


 「これ、この人」


 カメラを向いて笑う彼を指さし、俺に詰め寄ってくる。


 「高校の先輩!」


 いつも通り。

 めめの瞳を見つめてにこっと笑って見せた。


 「…大切な人なんだ?」

 「隠れて聞いてたん?」


 まずい。

 この空気にひなたを置くわけにはいかない。


 「隠れてって…人聞き悪いこと言わないで」

 

 さらに詰め寄られて、久しぶりにめめに対する恐怖心が感じられた。


 「ごめん、変なこと言うた。怒った?」


 ひなたはソファの側で動けないまま固まっていた。


 「怒ってない」

 「よかった。めめが嫌やったらこの写真捨てるわ。な?」

 「…質問に答えてないよ」

 「え、?」


 さっきまで怯えていたように見えたひなたは走ってきて、俺の膝にぎゅっと抱きついた。


 「この人は誰?」


 俺を独占して、縛りつけようとする節が、目黒蓮にはある。

 一緒にいる時間が長くなればなるほど、その独占欲は、俺から自由を無くすように、激しくなっていった。


 「パパ、こうちゃんのことおこっちゃやだよ」


 今にも泣き出しそうなひなたが、そう言った。


 「…怒ってないんだよ、康二が隠すのが嫌なんだよ。ひなただって康二に隠し事されたら嫌でしょ?」

 「隠してないやんか、高校の先輩やって」

 「名前は?」


 付き合っていたときから少し感じていた、めめの独占欲。

 結婚してからは、俺を所有物のように扱うようになっていた。


 「深澤辰哉」


 めめは、俺のことをめめのものやだと思ってる。


 「最初から教えてくれたらよかったのに」


 そう言ってめめは、ネクタイを緩め、寝室に向かっていった。


 「こうちゃん!」


 ぎゅーっと俺の膝に抱きつくから、怯えさせないように力強く抱きしめた。


 「んー、どうしたんひなたぁ!」


 ぽんぽんと頭を撫で、気持ちを落ち着かせる。


 「パパ、こわくなかった?」

 「怖くないよ」

 「パパはたまにこうちゃんにこわい」

 「…そう?」

 「こうちゃんはなんもしてないのに、パパはこうちゃんをおこる」


 俺が怯えたからやろうか。

 俺の気持ちが、ひなたに伝わってしまっている。


 「怖ないよ!パパはいつも優しいやんか」

 「…うん」


 再び抱き合って、背中を優しく撫でた。











・・・・・


 ふっかさんと再会したあの日、毎週水曜日はあの河辺で会うと約束をした。


 「なぁめめ?」

 「ん?」

 「…水曜日だけ自由に外出てもええ?」

 「えなんで?」


 その頃から、俺が外出するときは必ずめめに連絡して許可をとらなければいけない決まりになっていた。


 「いっつも家の中におったらおかしくなりそうや」

 「別に今までどおり聞いてくれたらいいよって言うよ?」

 「…そういうのもない日がほしいねん。縛られてるみたいで…嫌や」

 「縛ってないよ、俺は康二のことが心配で」

 「じゃあ子供が欲しい」

 「え?」


 めめは子供の話題に弱い。


 「なんで急にその話になるんだよ」

 「俺はずっと子供ほしいって言っとるやろ」


 ほんまに俺は子供が欲しかった。


 「めめが俺に家にいてほしいって言うから仕事も辞めたやろ?家に1人でおるの寂しいんよ?子供がおったら絶対今よりも幸せや」

 「俺だけじゃだめなの?」

 「そういう問題やないやん」


 こうしていつも話し合いは平行線を辿る。

 でも今回は…!


 「水曜日だけでええんよ?水曜日だけ、好きにさしてくれたらもう子供の話はせんよ」

 「…そんなに子供がほしい?」

 「ほしいよ」

 「俺と2人でいいじゃん、別に」

 「せやから…子供があかんなら水曜日だけの自由な日があったってええやろ?」


 めめはかなり悩んだ様子で、急にぱっと顔を上げた。


 「水曜日だけね。でも遅くならないで帰ってきて。他の日に外出するときは絶対連絡必須ね」

 「ええの!?嬉しい!ありがとめめ!」


 これでふっかさんと自由に会える。

 そう思ってしまった。


・・・・・











阿部side


 「深澤先輩」

 「阿部?」


 ひなたくんが生まれてから3年程度。

 あれから、康二は深澤先輩に一度も会っていないと思う。


 「すいません、勝手につて辿って先輩の連絡先聞いちゃって」

 「俺もびっくりしたけど」


 つまり、先輩はひなたくんの存在を知らない。


 「先輩、康二に会ってませんよね?」

 「…会ってないよ」

 「康二が今どこにいるのかも?」

 「…俺は4年前に会ったっきり、連絡も取れなくなったから。それで最後だって、康二に言われたんだよ」


 ひなたくんのことを先輩は、本当に知らないんだ。それどころか、康二の居場所すら。


 「もしかして康二になんかあったのか?」


 青白い顔で焦った様子で尋ねてくる。


 「教えろよ、康二になんかあったのか!?」

 「康二になんかあったっていうか」

 「…なに?」

 「康二に子どもがいるのは、知ってますか?」


 俺の襟を掴んでいた先輩の手は、掴む力を失くしたようにだらっと垂れた。


 「こども…?」

 「はい」

 「こどもか。こども…。あの、旦那さんとの?」


 なんだ、傷ついてるんじゃないか。

 明らかに目が泳いでいるし、焦っているのが伝わってくる。


 「今、3歳です」

 「…3歳?」

 「ひなたくん、男の子です」


 なにか言いたげに唇を歪めている。


 「ひなたくんに会ってみませんか?」

 「…え?」

 「康二の子に、会いたくないですか?」


 俺が、目黒と康二を出会わせてしまった。

 康二がまだ先輩を引きずってるって知ってたのに。

 目黒と結婚して、康二が辛い思いをしたなら、それは俺のせいだ。

 だから、せめて…!


 「どういう意味?」

 「康二に会いたいですか?」


 勝手なことして、ごめんな、康二。











to be continued