また今年も原爆の日が来ました。
私の両親も戦中派ですが、戦争中の話はあまり聞いたことがありませんでした。
たまに「すいとん食べた」とか「いもがご馳走だった」とか聞いたくらい。
母の兄3人?が戦争に行き亡くなったらしいです。
子どものころ毎年父の田舎に帰省し、その間1週間ほど母の実家にも泊まりに行きました。
すると玄関のフックにその亡くなったというお兄さんが戦争中かぶっていた帽子がいつもかけてありました。
そしてほぼ毎年広島の原爆の日は母の実家で過ごしたのです。
父の実家は今の私の実家で京都府北部、母の実家は兵庫県中部です。
子どものころの夏休みはいとこたちと久しぶりに会える楽しい日々でした。
親たちは、今自分が大人になって思うと嫌だったことも我慢していたんでしょうね・・・・・・。