道徳と、これからの日本人 | あげ手

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道徳・礼節・おもてなし・思考を探求しています。

昨年から、新型ウイルスに始まり、日本は様々な問題ばかりになった。

経済の低迷が、本当に激しく感じる次第であります。

町の商店街は、シャッター通りを通り超えて駐車場になり、

コンビニは続々と閉店し、飲食店が看板を下げる。

失業率は上がり、平均賃金は下がり、倒産件数が上がる。

ガソリンや原材料が次々上がり、消費税も上がったまま。

 

それなのに、株価は上がり調子で、

過去最高益をだす企業は、下がった法人税の還元に株主に配当をだす。

貧富の差が少なかった日本が、構造的にわかれるようになった。

 

 

民主主義国家の象徴のアメリカでは、堂々と不正選挙がやられ、その人が大統領になった。

 

教育者の森信三先生は、21世紀の展望を予言されました。

「日本の立ち直るのは、2025年からだろう。そして世界が日本の立ち直り認め出すのは、2050年だろうと。」

それは、二宮尊徳の教えであると言われています。

 

2025年まで、現在の問題は良くなるよりも、もっと悪くなると感じる次第であります。

しかし、問題が大きくなればなるほど、その本質が見えます。

日本人の行き着くとこまでいかないと、その愚かさに気づき、立ち直らないのかと感じる次第であります。

それまで、いろいろな政策ができ、頭のいい方がいろいろやられるかもしれないが

結局は日本に語り継がれた道徳や教えがそれに優ると感じる次第であります。

 

 

「二宮翁夜話」で、自分が一等好きな言葉です。

 

「予が歌に“音もなく香りもなく常に天地は

書かかざる経を繰り返しつつ”とよめり。

かかる尊き天地の経文を外にして、

書籍の上に道を求める学者輩の論説はとらざるなり」

 

現代のテレビや新聞のコメンテーターを揶揄している感じですね。

鍬ひとつで朽ち落ちた村を救った尊徳の深遠な言葉です。

 

最後まで読んで頂いて有難うございます。

 

 

 

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