こんなことできますかね?
人はいろいろ期待する。
特に、人に期待する。
部下に期待する。生徒に期待する。子供に期待する。
上の人と言われる 上司、先生、親は自分の目下に期待する。
それと、同時に期待に応えなかったら、罰を用意する。
だから、社員は、生徒は、子供は言われたことをやり、期待に応えようする。
その期待の報酬には、良き社員のレッテル、良き生徒のレッテル、良き子供のレッテル。
期待どおりに達成にしたものは何が残るでしょうか?
上の人の良いレッテルは、その場でしか有効ではありません。
社内の中・学校の中・家の中。
期待される側が外にでると場が異なるから良きレッテルはまったく意味がありません。
期待は、罰の上になりたっています。
罰のない期待こそが信じるではないでしょうか?
部下が失敗してもなんとか支援する上司。
生徒が悪さしても何回でも支援する教師。
子供が言うことができなくても支援する親。
これこそが、信じると感じる次第であります。
罰のもっとも、組織的に効率的に運用がされているのが法律です。
法律は悪いことを抑制効果はあります。
しかし、良き人になるようなこと、しあわせになるようなこと、笑顔になるようなことありません。
罰は人を動かすが、罰は人を育てません。
罰の上になりたっている期待で世の中は動いています。
そういった中で、国が動いています。
今まで、六法全集のページ数が少なくなったことはありません。
年々増えます。廃案になる法律もありますが、増えるばかりであります。
そういった中で、人間関係は良きものにできるでしょうか?
自分の大切な部下を、生徒を、子供を信じてみましょう。
信じることで、部下の接し方が変わります。
信じることで、生徒の接し方が変わります。
信じることで、子供の接し方が変わります。
信じてあげるのは自分です。
自分が自分を信じて、初めて自分の大切な人を信じることができます。
信じて、お互いの規律を維持することが道徳と信じる次第です。
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