ここは、東京から車で2時間の山梨の或る村。
少し歩いてみたが、人は見かけない。
あるのは古びた家々と田畑のみ。
鈍色の雲と山から吹く、冷えた空気が一層寂しさを掻き立てる。
唯一、刈り取られた稲穂だけが人の気配を感じさせている。
ここには静かな時間が流れているが、
湿気を帯びた、山からの風が、文明を少しずつ削り取って行き、やがては土に還る。
そしてまた、そこへ人がやってきて、家や畑や家族を作る。そしてまた土へ還って行く。
いったい何度、繰り返されたか判らないが、人と自然のせめぎ合いが綿々と繰り返される。
このひなびた村も、都会もそうした時間の流れの中で、産まれては朽ちて無に還って行くのだ。
朽ちて行く物は寂しさを感じさせるが、ファインダーを通して見つめていると、
これらはまだ成長しているかのようにも見えてくる。寂しさの中も暖かさを感じた。
おそらく朽ちて行くときは無に向かってまだ成長していて、何もなくなる頃には、次の生が芽吹いているからなのだろう。
朽ちる寸前は、美しい。
人も、文明も、自然も、そうした輪廻の中では、ほんの一つの細胞のような物で、
だからこそ、流れに逆らってはならず、次の世代の肥やしにならなければならない。
私は、そうした生き方をしたいと思う。
ひなびた村で、少し心を洗われた。