「ずーっとずっとだいすきだよ(絵・文 ハンス・ウィルヘルム)」という、有名な絵本を、皆様、ご存じでしょうか。
この、原題「I'll always love you」という絵本についてですが、
1980年代にアメリカで出版されて以降、世界中で愛され、版を重ねてきた絵本で、日本の国語教科書にも使われており、私の塾のテキストにも載ってます。
当時、唯一今も続けているのとは別の読み聞かせの会に、Yuni、掛け持ち所属していたのですが、
そこで、同じくメンバーとなった(てか、私が参加しないかと誘った)ヨーロッパ人の友人○さんと一緒に「これを図書館の読み聞かせに使ってみよう」というお話になり、
私は、この「ずーっとずっとだいすきだよ」を、まずは普通に読み聞かせしました。
・・・
以下、あらすじです。
…主人公は「ぼく」と、犬のエルフィー。
エルフィーは、世界一、素晴らしい犬です。
ぼくの家族は皆、エルフィーを愛していたけど、エルフィーは、ぼくの犬でした。
二人一緒に育ち、夢を見るのも、遊ぶのも一緒。
やんちゃでいたずらっ子のエルフィー。
家族から叱られることも、多くありました。
そんないたずらエルフィーであっても、家族中の誰もが、エルフィーを大好きでした。
だけど、エルフィーに「大好きだよ」と言ってやるのは「ぼく」だけ。
他の家族は皆、エルフィーには「好き」って言わなくたって、伝わってるはずだと思っていたのです。
ところが、エルフィーは次第に太ってゆき、寝ている事が多くなり、弱ってゆきます。
心配になり、獣医さんに連れてゆきますが…もう、獣医さんにも、出来る事は何もありませんでした。
「エルフィーは、年を取ったんだよ」と、獣医さんは言いました。
やがてエルフィーは、階段も登れなくなりますが、ぼくは、エルフィーは、ぼくの部屋で寝なくてはいけないんだ、と抱きかかえてゆきます。
そして寝る前には必ず「エルフィー、ずーっとだいすきだよ」と言って聞かせます。
ある朝、目を覚ますと、エルフィーは死んでいました。
家族はエルフィーを庭に埋めてやりながら、皆、泣いたけど、ぼくはいくらか、気持ちが楽でした。
「ずーっと、だいすきだよ」って、伝え続けていたから。
…さて、ここで、この絵本を最後まで聞いてくれた皆さんに、クイズです。
まず、第一問。
…エルフィーは、男の子でしょうか、女の子でしょうか?
…え?そんなの分かるような場面、あったっけ?
…ママ、パパ、おじいちゃん、解る?
…んー、男の子!…で、合ってる?
と、戸惑いながらも、懸命に考え、答えてくれる子供たち。
…難しいよね。判らなくても、当たり前。
ごめんね、この答え、日本語の絵本だと、全く判りません。何処にも書かれていないのですから。
でも、原文である英語の絵本には、実は、ちゃんとエルフィーの性別が書いてあるのです。
「でも彼女は、ぼくのいぬだったんだ」→「でもエルフィーは、ぼくの犬だったんだ(日本語版)」
Sheは「彼女」という意味。
つまりエルフィーは、女の子のワンちゃん(雌犬)なんですね。
…へええ、マジ?!エルフィー、メスだったの?
…オスのワンちゃんだって思い込んでた。そうだったんだ~!
って声が、子供たちや保護者さんから、上がりました。
英語の小説や絵本には、何かを強調したい場合、他とちょっと変わった、斜めのフォント(斜体)で書かれることがあります。
ABCDE abcde←こういうの。
日本にはない表現方法ですね、これ。
この絵本の中でも、実は2か所、この「斜めのフォント」の単語が使われているんですが、
さあ、どこだと思いますか。
そこが、作者のハンス・ウィルヘルムさんが、一番強く言いたかった部分です。
これも日本語の絵本だと、全く判りませんよね。
原書の英語の絵本を見てみますと、まず一か所は、第一問でも引用した文だけど、ここ。
But she was my dog.
でも、エルフィーは、ぼくの犬だったんだ。
「my」は「ぼくの」。
そう、エルフィーが、家族の他の誰の犬でもなく、
「ぼくの」犬だ。…ってことが
「ぼく」にとっては、本っっ当に、重要なことだったんですね。
もう一か所は…ここです。
But she had to sleep in my room.
でもエルフィーは、ぼくのへやで ねなくちゃいけないんだ。
英語の文に「have to」がつくと、「~しなくちゃならない」という意味になります。
その「have」の過去分詞「had」の部分が、わざわざ斜めのフォントになっている。
つまり…「ぼく」は
弱って、もう階段を一人で登れなくなったエルフィーを、二階にある自分の部屋に連れてゆかず、
階下に、一人ぼっちで寝かせておくことだって、出来るんだけど、
「でも、エルフィーは、ぼくの部屋で寝なくちゃならない」んだ、
「ずーっとずっと、大好きだよ」と言ってやらずに、一人ぼっちで寝かせるようなことは、一晩たりとも、しちゃいけないんだ。
…と、とてもとても、強く決意していたんだ…
ということに、気付かされます。
恐らく、これは…作者ハンス・ウィルヘルムさんご自身の、少年だった頃の姿か、
或いは、ずーっと大好きだった、ワンちゃん(またはそれ以外の動物、もしかしたら人間かも)に対し
「そうしてあげてればよかったのに…」という、悲しみと後悔なのではないかと思います。
これも、和訳版の絵本を読んだだけだと、判らない。
翻訳者さんが力不足なわけじゃなく、文化圏による表現の違いだから、これをこのニュアンスのまま訳し、伝えるには、どうしても限界があるんです。
私も、和訳版の絵本を読んだだけの時には、全く気付かなかったのに、
英語で書かれた原文の絵本を読んで、初めて作者さんの思いを知りました。
翻訳者さんたちは、日本語しか知らない私達にも、ちゃんと内容が解るように、和訳してくれています。
だから、有難いことに「ハリポタ」でも「ナルニア」でも「はてしない物語」でも「西遊記」でも、私達は日本語で、ほぼ遜色なしに楽しめるわけです。
だから「既に充分、立派に和訳されてるものを、わざわざ難しい外国語の原文で読むことに、何の意味があるの?超~めんどくさ!」
って思うかもしれないんだけど、
…こう見てみると、どうですか。
原文で読んでみると、その言語で読まない限り、一生気付くことが出来ない
作者さんの思いがあるかもしれないんだな(こんな短い絵本にさえ…)って、思いませんでしたか?
では、次に、今度は英語で同じ絵本(I'll always love you「ずーっとずっとだいすきだよ」)を、
○さん(英語の流暢なヨーロッパ人の友人)に読んでもらいますので、今、話した点に注意して、ちょっとだけ聞いてみて下さいね。
「…ええーっ!英語なんてまだ習ってないし、聴いたって全然、意味解んない!」
…って思うかもしれないんですが、
私達が使っている日本語とは、また全く違う「英語」という言語の持つ、美しい響きを、
ちょっとの間だけ、音楽のように味わうつもりで、聴いてみて貰えたら、嬉しいです📖
・・・
…私がたった一回、図書館でやった、この日英絵本読み聞かせ(と、その繋ぎの説明)
割と評判良かった…らしい…んですが、
(子供たちに伝わったどうかは判りませんが、少なくとも、同行した保護者の方々には、外国の物語を原文で読むことの重要性の伝わる、良い内容だった…とのご感想を頂けました)
私としては、この絵本の内容自体が、けっこう悲しいことと(私個人的には、胸に来る悲しい内容の絵本は、図書館の読み聞かせでは、極力選ばないようにしています。
そうじゃなくても、現実の深い悩みを抱えてる子も多いし、日本って、国語教科書の内容自体、どんよりジメジメした暗~い話が多いので、読み聞かせにまで、わざわざそんな本を選ばなくてもいいだろうと。
今でこそ、時折、ちょっと考えさせられる内容の絵本も、他とのバランスを考えつつ入れてますが、特にコロナ禍下では、明るい気持ちになれない内容の絵本は、一切入れなかった)「英語での読み聞かせ」が、小さな子供たちに受け入れてもらえるかどうか…で、正直、頭いっぱいいっぱいで、こういう繋ぎを入れて誘導すれば、何とか、子供たちにも「英語版読み聞かせにも」興味を持ってもらえないだろうか…と思って、英語版を読みながら必死で考えた、かなり苦し紛れな説明でも、あったのですが。
こういうの(英語の絵本の読み聞かせ導入等)って、披瀝する側はキモチ良くても、一歩間違えば、ただの大人のウザい押し付け、インテリ気取りの自己満にも陥りかねないから、難しいんですよ…
兎に角、私としては、子供たちにとっては宝物レベルに貴重な「休日」の一時間ほどを割き、わざわざ読み聞かせを聞こうと思って、来てくれた子供たちに「絵本って面白い!楽し~い」という印象を持って、帰って貰いたいのよ…
…子供たちも、この時は、クイズを真剣に考えてくれたり、割と興味を持って聞いてくれたようだったので、ホッとしたのですが…
その読み聞かせの直後に、すぐ、この話題をどこかに書いてしまうと、
…あ、Yuniってあの人!?と身バレしてしまう可能性があるので、
実施から五年以上過ぎた今、こわごわ書かせてもらいました
つか、知人の皆様、万一Yuniの正体に気付いても、触れないで下しゃんせ…
全く喜ばないので…本っっ当に、喜ばないので…
ワンちゃんについての絵本のお話になりましたが、
本日、2月22日は、猫の日。
まあ、同じくペットとして身近な動物についてのお話、ということで。