これから、惑星と星座の関係性について考察し、自分を特定の制約から自由にすることについてお話したいと思います。ただ、まずは前置きの議論をさせていただきます。

 

外国語や国語の授業で、品詞を習ったことがあると思います。名詞、形容詞、動詞、副詞などです。我々は一つの傾向として、名詞に意識を向けがちです。「何が」そして「何を」という動作の主体もしくは受け手に、フォーカスをすることが多いのではないでしょうか。

 

でも、一番大切なのは行為です。先に主体があるのでなく、動作が最初にあるのです。行為があって、主体やその受け手が初めて生じるのです。言い換えると、先に動詞があり、動詞が作用する中で主体が決まり、行為の受け手が決定する、もしくは、動作が作用する中で、その受け手が決まり、主体が浮き出てくるのではないかと思います。言い換えると、動作にすべての原因があり、その動作主と動作の受け手は結果なのです。

 

動作が自分になるので、以上の様に考えると、自己認識がダイナミックになります。例えば、「仕事をしている私」、「遊んでいる私」という感じで自分を普通は意識します。でも、動作そのものが自分だとしたらどうでしょうか。「仕事をする」という動作が先で、「私」が後に登場します。「仕事をしているのは私」という発想が全く働かなくなります。

 

そうなと、人はどんどん自由になります。「私」という束縛に苦しまなくて良くなるからです。「私」という存在はほぼすべてこれまでの人生において恣意的に意味づけされているものです。だから、占いや心理学をベースにする性格判断が機能するのです。人はシステムの中に生きるので、知らず知らずのうちに、システム化されてしまいます。内向的な私、外向的な私、繊細な私といった条件付けはその例です。

 

でも、動詞を自分だとする、すなわち行動が自分だとしたら、この束縛から少しは自由になると思います。前置きが長くなってしまいました。ここから星占いの話です。

 

基本的に、西洋占星術では星座(サイン)と惑星を使って占います。星座というのは牡羊座、牡牛座、双子座といったおなじみのものです。惑星は月(星占いでは惑星扱い)、水星、金星といった星です。

 

星座と惑星の違いをはっきりと理解すると、占いが面白くなるのですが、中々難しいのも事実です。でも、上記の分析を当てはめると少し分かりやすくなるかもしれません。

 

星座は「名詞」、惑星は「動詞」だと考えてください。先にあるのが惑星ですが、多くの場合は、星座が先にあると思ってしまいがちです。そのため、特定の性格付けに翻弄されてしまうのです。

 

でも、惑星を自分だと考えるとどうでしょうか。例えば、月という感情的な反応、本能的(反射的)な行動が先にあり、この行動に伴って、星座が生かされてくると考えましょう。すると、条件付けのプロセスを客観視することができます。

本当は自由に月は働くことができるのに、特定の星座に行動が制限されている様子が浮かび上がってきます。星座を自分だと考えていたら、この制約に無自覚になり、自分の可能性を抑えてしまうことになります。

 

太陽について考えてみましょう。太陽は公の場での行動を示すものです。だから、仕事と結び付けられます。例えば蠍座の人は、この社会における行動を蠍座に制約されてしまっているということになります。でも、主体は動作だと考えると、蠍座に抑え込まれる太陽を意識できるのではないでしょうか。

 

実は、星座というのは決定的なものでなく、乗り越えるべきものです。生まれた時に人はなぜか自分をある特定の条件に押さえ込んでしまっているのです。しかし、惑星を自分だと考えると、星座の中に閉じ込められている自分の姿を発見し、そこから解放することができます。

 

人は、自分をある特定のシステムの中に閉じ込める傾向があります。この傾向を使って、占いや心理学では性格判断をします。でも、この性格は「牢獄」に閉じ込められている自分の姿です。ここから逃れる道を、探らなくてはいけません。これが占いの目的だと思います。この脱出作戦を、恋愛、仕事、趣味といった場で行うことができるのは、占いだけでしょう。

 

ぜひ、動詞=「私」という発想の転換をしてみてください。そうすれば面白い変化が起こると思います!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。