以上の記事の続きです。霊的に変化した人間はどのようなものなのでしょうか。

 

もう一度、以下の引用をご覧ください。

 

五十黙示録 第七巻 五葉之巻(昭和36年9月1日)

第十六帖
マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。


「半霊半物」の肉体を持つ存在がこの霊的に進化した人間ということになります。この肉体は「今の物質でつくった何物にも影響されない」ものです。「今の物質」とは科学的なプロセスで作られた物質のことでしょう。その例として、原爆や水爆が言及されています。直接ここでは言及されていませんが、食品添加物、放射線、薬害等も含まれるでしょう。(下線部は1月6日17時20分頃に加筆しました。)

 

もちろん比喩かもしれませんが、この預言が示唆しているのは、人間の肉体にとって有害な物質から我々はもはや逃れることができないという状況ではないかと思います。このままでは苦しみの中で滅びる以外ないという、悲観的な現実も暗示されていると解釈できるでしょう。

 

でも、この「新しい命」が我々の肉体になれば、こうした現実を変えることができると預言されています。この新しい肉体は「灰になる肉体であってはならん」と述べられていることから、死から自由の身体、すなわち永遠の命を持つ肉体ということになります。

 

でも、文字通り「死なない」ということではないと思います。以下の引用をご覧ください。

 

五十黙示録 補巻 紫金之巻(昭和36年)(書記日は不明)

第十四帖

現実の事のみで処してはならん、常に永遠の立場に立って処理せよと申してあろうがな、生きることは死に向って進むこと、マコトに生きる大道に目ざめてくれよ、神示を始めから読めば何事もありやかぞ。奥山はあってはならん無くてはならん存在であるぞ。善人の住むところ、悪人の休む処と申してあろう、奥山は神、幽、現の三界と通ずるところ。八尋殿の左と右に宮が建つ、奥にも一つ。


「生きることは死に向かって進むこと」と確かに述べられています。よって、半霊半物は不死になることを表しているわけではないと思います。

 

むしろ、「今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命」と述べられていた点を踏まえると、人間が作り出したモノによって損なわれない存在が、半霊半物の存在である人ということになります。

 

字義通り解釈すると、「半霊半物の肉体」というのは、永遠なる存在の命(霊)と有限である肉が、ちょうど半々の割合で人間において結びつくということでしょう。これによって、肉は永遠ではないですが、永遠の属性をある程度持つ様になるのです。そうなると、化学物質の害にも影響されることがなくなるのです(あくまでも『ひふみ神示』の個人的解釈です)。更に、永遠の存在である命(霊)がこれまで以上にこの物質界で活動することになるでしょう。(下線部は1月6日17時20分頃に加筆しました。)

 

永遠とは終わりがないことであり、始まりもないという意味です。私たちの肉体は母親と父親のお陰でこの世に存在しています。これは原因と結果のプロセスです。始まりがあり(生)、終わり(死)があります。我々の肉体は確かに原因と結果の中にいます。でも、その大本である「命」(霊)は誰によるものでなく、それ自体で存在するのです。
 

以上の引用の冒頭に「現実の事のみで処してはならん、常に永遠の立場に立って処理せよ」と書いてありました。現実の事、例えば仕事、恋愛、家族、お金等の現実的な事柄を本質だと思うのでなく、永遠という文脈で人生を位置づけ行動せよという意味です。つまり、(物理的な意味での)原因と結果というプロセスの外に存在する者として自分を理解し、行動しなさいということが、「永遠の立場に立って処理せよ」に込められた意義だと個人的に思っています。

 

人間が作り上げた事柄を恐れる必要は全く無いのです。原因と結果がもたらすものは有限で滅びます。一方、我々はこの因果関係とは関わらないところに存在する命でもあります。もし、この命が我々の中で半分を占めるようになるとどうでしょうか。目の前の現実的問題に、右往左往しなくなると思います。
 

もちろん、現実的な問題は重要です。でも、これが全ての本質だと思ってしまうと、今の様な世界になってしまうのです。占星術的にいえば、魚座の時代や土の時代は「現実の事」が過度に意識されてしまった時代だと思います。いずれにせよ、「永遠の立場」=「永遠という時間に生きている」という意識を持つことが、長い間ないがしろにされてきてしまいました。

 

これまで、我々は因果関係によって生み出された肉体に意識を向けており、この延長で人間が作り上げてきた合理的な社会システムを全てだと思ってきました。その分、命(霊)を十分に意識してこなかったと思われます。だから、因果関係の世界に捕らわれ、まさにカルマに振り回され、業を背負う生き方に囚われてしまっていたのではないでしょうか。

 

でも、肉体に対する意識と命(霊)に対する意識を同じ程度にすると、我々は永遠を生きる存在として現世での生き方を俯瞰することができるようになるでしょう。そうすると、これまで見えてこなかったこの世の仕組みに気が付くかもしれません。また、肉体に対する理解も深まるでしょう。更に、霊についての悟りも深まると思います。

 

『ひふみ神示』にはこのような人生の智慧が数多く書かれています。預言書なので読みにくいことは事実ですが、気になるところにだけでも目を通して見ると、何かしらの気づきに恵まれると思います。今年も大変な年になっています。『ひふみ神示』の英知に触れる良いタイミングかもしれません。

 

最後までお読みくださりありがとうございました。