『花園天皇日記』をもとに、1331年の元弘の変直後の様子を、
脚本風にして読んでみました。

 

で、

 
①捕縛時の後醍醐の身なり
②身元確認
③後醍醐らの言い分

この3つを、興味深い点として挙げました。
ここでは②について、つらつらと書き連ねます。

 

②身元確認

先帝たちを捕えても、本当にその人かどうか、誰も確認できる人が武家にはいない。

つまりみんな顔を知らないわけだ。

確かに、なーるほどですね。

 

誤認逮捕だったら大変だしね。

 

上皇とか、出家した法親王とかだから、御簾で顔隠すアレじゃないけど、

やっぱり、武家と日常的に対面する環境じゃないのよ。

 

で、持明院統の花園に「誰か身元確認できる人、紹介して」ってお願いしてる(笑)

でも、一旦断ってるね、花園。

 

断ってるっていうか、自分から名指ししたくないんだね。

だから、武家の方から、妥当な人を指名してって言ってるわけだ。

それなら良い、と。

 

どういう感覚なのかな。

 

謀反(?)を起こし捕縛された人と同じ空間にいかなきゃならないケガレ感がいやなのか。

当時、犯罪ってケガレの一種なんです。

あるいは、嘲りに行ったと思われ、筋違いの恨みを買いそう、とか?

まぁ、よっぽど繋がりが深い人でなければ、犯罪者と対面するのって、普通にイヤかな?

 

花園は、みんな嫌がるのがわかってるから、自分は指名したくない。

御子左為冬も、やっぱりイヤなんだろうね…。

 

でも、身元確認は大事。

誤認逮捕だったら、本人がどこかに潜伏してるわけだし、

ちゃんと確認しないと、たしかに困る。

 

そんなわけで、「そっちから指名して」と武家に振ったわけだ。

 

そして結局、関東申次の西園寺公宗にお鉢が回ってきたというわけ。

お前しかいない、わかってんだろ?

頼めるのは、お前だけなんだよ?

他の貴族なんて、おれら、よく知らねーし。

いつも、取次してくれてんじゃん?

こんなときのための、関東申次だろ?

まじで、頼む!!!!

こんな感じでしょうか?

 

ま、アゲハの妄想かも知らんけど。

アハハハハ。楽しい~爆  笑

 

 

「魔が差した」後醍醐天皇(4)~後醍醐らの言い分~

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