昔の関税
前回までは、関税自主権のお話、そして税率のお話をしました。
税率が清国と同じ5%に下がった背景には、下関事件があったこともお話しました。
ここでは、19世紀の関税全般のお話、をしたいと思います。
まとまりに欠けるかもしれませんが…。
さて、明治維新が成功して、蓋を開けてみた新政府メンバーたち。
驚いたと思います。
関税率めっちゃ低いし、150万ドルの支払いもまだ途中。
(下関事件の賠償金(半額)の150万ドルのことです)
ちなみにこの150万ドル、支払いを終えたのは1874年(明治7)です。
下関戦争のせいで、関税収入はほとんどない。
木戸孝允、伊藤博文、井上馨など、新政府メンバーになった長州藩士たちは、
これを知って愕然としたのではないでしょうか。
あるいは、承知の上かもしれませんが。
まぁでも、自分たちのやったことですから。
ちなみに。
当時の国家収入(歳入)において、関税ってものすごく重要でした。
たとえばアメリカだと、歳入に占める関税の割合は53%。半分です。
ドイツは55%。
イギリスが低いです。それでも22%。
関税収入が歳入に大きく寄与していた時代があったなんて、驚きですよね。
19世紀に入ってから、イギリスは重商主義から自由貿易主義に舵を切りました。
なので、他の西洋諸国と比較して、関税は低い。
具体的な数値(一般品目の関税率)は知りませんが…。
だから歳入に占める割合も、アメリカ・ドイツよりも低いんです。
関税は、自由貿易の障害ですからね。
ドイツは、イギリス商品から国内産業を守るために高関税を方針としました。
ゆえに関税収入が多い。
アダム=スミスとは反対の立場だったフリードリッヒ=リストは、
ドイツの保護主義を体現した経済学者です。
アメリカは、北部と南部で方針が異なっていました。
輸入中心で自国の工業を守りたい北部は高い関税を支持、
綿花など農産物をどんどん輸出したい南部は低い関税を支持。
で、南北戦争の結果、勝利した北部の方針、つまり高関税が国の方針となった。
なので、関税収入が多いんですね。
一方、一律5%にされてしまった日本のそれは、たった3%でした。
(井上清『条約改正』昭和30年、岩波新書、56ページ)
というわけで、財政状況の厳しい明治新政府が、領事裁判権よりも関税自主権の回復を優先して条約改正交渉をスタートしたのも当然のことと思います。
しかしまぁ、上記のような、歳入に占める関税収入の割合を見ると、
関税障壁をなくそうというムーブメントの現代では考えられません。
隔世の感があります。
現代の関税は、国内の産業保護の機能しかありませんから、
歳入を増やすために関税を高くするなんて国家、現代ではありえません。
例えあったとしても、超例外です。
そういえば、2019年、アメリカのトランプ大統領と中国の習近平総書記との間で、
関税値上げ合戦がありましたね。
懐かしい。
あのときの関税の機能は、増収は論外だし、国内産業保護でもありませんね…。
報復、制裁、嫌がらせ、でしょうか。
よく言えば、交渉材料かな。
「国内の産業保護の機能しかない」ってのは嘘でした。
ごめんなさい。それ以外の機能もありました。
しかしですね、
条約改正と絡んで関税を振り返ると、
関税の認識について現代とのギャップが大きいのだけど、そこが逆に興味深い。
当時のイギリスの自由貿易主義の方針は、19世紀、そして20世紀を通じて、
今やグローバルスタンダートなのよ。
細かいところでは揉めてるし、それぞれの国内事情もあるけど、
関税は自由貿易にとって障害であり、
可能な限りそれをなくそうという共通認識がある。
当時のイギリスが、関税の着地点をどこに置いていたのかわからないし、
たとえ今のような低い関税率を想定していなかったとしても、
19世紀イギリスの思考の延長線上に、今の貿易はある。
そう思えば、さすがイギリス、しか言えない。
オピニオン・リーダーというか、
最先端というか。
当時の人々が、今の関税率および歳入に占める割合を聞いたら、
驚愕するだろうな。
ちなみに現代日本の関税収入は0.8兆円で、歳入に占める割合は1.3%です。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/tsusho_boeki/fukosei_boeki/report_2022/pdf/2022_02_05.pdf
不平等だ!って騒いでいたころの、関税収入の割合3%より少ない。
他国も似たり寄ったりだと思う。
こうやって、歴史は変化していってる。
関税1つとっても、実感できる。
クサいけど、心の底から、やっぱり歴史は面白いと思う。
(クサすぎて、マジで現実では言えない)
以上をまとめます。
「不平等」であることは、間違いありません。
関税を自分で決められなかったのですから、国の主権に関わります。
ここは、完全に不平等です。
ですが、税率を見てみれば、当初はそれほど低いものではなかった。
1866年に清国並みの5%になっちゃったのは、長州による下関事件が原因。
そして、最終的に関税自主権を回復したのは、日清・日露の戦争も終わり、
日本が列強と肩を並べた1911年、小村寿太郎が外務大臣のときでした。
おしまい。
続きもありますが、ほぼ余談です(笑)
そして、条約改正の経緯も面白いんだけど、面倒なのでやめときます。
本ブログに役立ったおススメの書籍は、
三谷博『ペリー来航』吉川弘文館、2003年
井上清『条約改正』岩波新書、昭和30年
→ Amazonで見つからなかったwww
代わりに同氏の『明治維新』をススめておきます。