VIP男性版お百度参りについてお話してきました。
伏見宮家の貞成親王と、亀山院のお2人。
どちらも、中世ではとてもVIPな方々でした。
でもちょっと飽きてきたので、次は庶民のお百度参りについてお話しします。
そして、時代もちょっと飽きてきたので、
気分一新、明治時代に飛びます。
でも、男性のお百度参りという括りはキープします。
史料は新聞。
朝日新聞クロスサーチを使いました。
いつも利用させていただいています
1880(明治13)年10月31日付の大阪朝日新聞(朝刊)
140年ほど前の記事ですね。
昔の新聞って、国語的に面白いんです。
句読点がないとか、
旧仮名の多様なバリエーションとか、
口調そのまんまを表現するとか、、、。
とにかく、ざっくり現代語訳しますね。
昔々、恋塚の伝説には、2人の男性が同じ女性を好きになり、その女性の思いを懸けて水鳥を矢で射たこともあったというが、今、同じように1人の女性をめぐって、2人の男性が争い、お互いに神や仏に祈りを捧げている。
1人は高麗橋西詰の髪結栄印、もう1人は東詰の髪結正的である。どちらも威勢のいい男で、役者に例えるなら才三ほどではないけれど、それぐらいのイケメン。
そして、この2人が競い合って惚れ込んでいるという女性は、大手筋にある大手湯の娘、おとく。
栄印が「この恋叶えてください」と天満社へお百度参りすれば、正的は裸足で神明社に参詣しているという。
かように熱心なのだが、女性に思いを寄せる男はたくさんいて、いまだに2人とも思いは叶えられていないという。
違うことにこのくらい熱意を向けていれば、人様にも褒められただろうに。残念な話だ。
青春だなぁ。
男性2人で女性1人を取り合っていた。けど、女性はモテモテで、男たちは両方とも論外だったという話。そこにお百度参りが絡んでくるわけです。
恋が成就するようにと、片方は天満社に、もう片方は神明社にお参りしたんですね。
神明社にお参りした男性も、裸足でってありますし、明記していませんが、おそらくお百度参りだと思います。
中世、伏見宮の貞成親王さんが、裸足でお百度踏んでましたからね。
裸足でお参りって言ったら、そりゃもう、お百度参りですよ。
たぶん。
神社
さて。
天満社とは、大阪市北区の大阪天満宮のことでしょう。
では神明社は?
大阪人ではないので、いまいちピンときません。
候補は、
①北区にある露天神社(つゆのてん・じんじゃ)…旧名「難波神明社」。
②大正区にある神明神社
③此花区にある朝日神明社
神明社という名の神社は大阪に限らずあちこちにあるんですけど、その共通点は天照大神(=神明)を祀っているということです。
もちろん、天照大神を祀っている本家本元といえば伊勢神宮ですが、
伊勢神宮と神明社の関係は、親分と子分みたいなものです。
中世では、京都の宇治にある神明神社のことを、「今伊勢」と呼んでいます。
伊勢神宮と神明社のつながりがわかります。
なお、「今伊勢」とは「New伊勢神社」っていう意味です。
もちろん、本家本元の伊勢神宮よりは新しいのは当然のことですが、
これに加えて、
宇治にある「今伊勢」に参詣することで、本場の伊勢神宮に行った気分になる、
という機能もあります。
もう一方の、天満社。これもあちこちにありますね。
共通点は、菅原道真(天神)を祀っているということですよね。
次に登場人物の男性2人について、ちょっと探ってみましょう。
仕事場(住所も兼ねる?)が高麗橋とありますね。
これはおそらく、大阪市中央区の高麗橋です。
阪神高速の料金所にも「高麗橋」ってありますね。
これです、たぶん。
まあ、土地勘ないので、間違っていたら教えてください。
髪結
で、この橋の東詰にいたのが、髪結の栄印。
で、この橋の西詰にいたのが、やはり髪結の正的。
たしかに、現代の地図でも高麗橋は、南北に通る川(運河?)に、東西の向きに懸かっております。
この両端に、髪結の2人はいたわけですね。
同じ橋の両端に、同じ商売。同じ年の頃の男性、とくれば、
同じ女性に恋をする以前から、
何かにつけて争っていたのではないかと、そんな気がします。
髪結が同じ橋の両端で商売をするなんて、なんか不合理な気がしますね。
もうちょっと、離れて商売すりゃいいのにって(笑)
でも、現代でも美容院の近所に美容院は、普通にあり得ますから、そこはスルーしましょう。
橋の両端に髪結床、というのは、これ以外の実例を私は知りませんが、
しかし、橋のたもとに髪結床、っていうのは、実はよくあることだったのです。
しかも、戦国時代から。
『洛中洛外図』にあったと思うのですが、画像はちょっとどこへやら…手近のUSBを確認したけど、ない。
って感じで面倒なので、端折ります。いや、いずれ特集します。
理由は分からないのですが、橋の橋のたもとに髪結って、室町時代後期からあったわけです。
お百度参り
近代になってくると、お百度参りも女性だけじゃないかと踏んでいたのですが、
男性、いましたね。
しかも、意外なことに恋愛成就。
でも、当人たちは必死だったわけですよね。
だからお百度参りに及んだわけです。
当の女性からしたら、まったく眼中にないけど(笑)
まあ、アレですよね。
ライバルがいたから、必要以上に燃え上がってしまったみたいな、
ところはあったと思います。
で、そんな様子をみた人々は、
「そんな熱意があるんなら、もっとまともなことに使ったら、人にも褒められたのに」と。
裏返せば、
「そんなつまらんことに必死になりおって」と呆れていたということでしょう。
そんなことが新聞記事になるんですね(笑)
恋塚伝説
最後に、記事冒頭にある恋塚伝説について。
正規の伝説だと、
文覚がまだ俗人だったころ、人妻の袈裟御前を好きになった。文覚が強引に婚姻を迫ったところ、渋々承諾。しかし袈裟御前の計画によって、夫を殺すはずが袈裟御前を殺害してしまった。自分の行為を悔いた文覚は出家し、袈裟御前の菩提を弔うために寺を建てた。それが恋塚寺(伏見区鳥羽)。
『源平盛衰記』にある話です。
文覚というのは「鎌倉殿の13人」でも要所要所、登場してましたよね。
市川猿之助さんが演じてました。
あれーーー?
水鳥なんてどこにも出てこないよ。
水鳥が絡む、三角関係の恋塚伝説、ほかにあるのでしょうか??
うーーん。見つからないのでスルーします。
伝説なんて、全国規模のもの、地方限定的なもの、いくらでもありますからね。
ただ、どちらも男2女1の三角関係の話ですが、
正規の恋塚伝説だと、人が死んでるだけにけっこう生臭い。
けれど、新聞記載の伝説だと、なんだか風雅な印象ですよね。
こういう三角関係を記事にするにあたって、導入として恋塚伝説が挿入されたのですが、ダメンズの話題なだけに、それとのギャップを演出するために風雅な話を持ってきた?
ギャップ?
落差?
まあ、単なる「つかみ」で、そこまで演出がない場合もありえる(笑)
個人的には、なかなか良いお百度参りアーカイブとなりました。
では、お百度参り(6)へ