1914.5.12 西野氏二十五年祭(実施報告)
この二十五年祭は無事に実施できたようです。
西野はもう犯罪者ではなくて英雄ですからね。
参会者のうち、5月8日に記載されていなかった人物の名を確認してみましょう。
1.寺尾博士
ちゃんとフルネームで書いてほしかった。たぶん寺尾亨博士かと。
1903年、有名な七博士意見書を提出した1人です。
意見書では、桂内閣の外交を軟弱と非難し、主戦論(ロシアと戦うべき)を主張しています。でも違う寺尾博士の可能性もあります。
2.有地中将
これも下の名前がないので推測ですが、海軍中将の有地品之允(シナノジョウ)と思われます。このときは貴族院議員です。
3.古島一雄
ジャーナリスト。三宅雪嶺の『日本人』から記者生活をスタートさせています。
しかし、本記事の3年前には衆議院議員になり、犬養毅の側近として活動することになる人物です。
4.小泉又次郎
小泉純一郎元総理の祖父です。もとは横須賀で土建関係の人材斡旋のようなことをしていたのですが、記事がある1914年は衆議院議員になって6年目ぐらい。のちには大臣にもなり、普通選挙運動にも力をいれていました。全身に入墨を施していたということで「入墨大臣」の異名。興味津々です。
5.祭主下田義昭
正確には義照。伊勢神宮の神職です。神道のイベントですから。
6.本庄安太郎
推測ですが、玄洋社社員の「本荘」安太郎のことと思われます。だとすれば、彼は中国に渡り、諜報工作活動をしていた人物です。玄洋社トップの頭山は発起人だし、そのつながりでしょう。とはいえ「本庄安太郎」という人物がほかにいる可能性もあり。
7.三浦将軍。これは三浦梧楼のこと。
以上です。彼らのほか500人ほどが参加していました。
また、注目すべきは参会者に配布された「西野の肖像及斬奸状の写本」です。
本シリーズの(6)で見ましたが、西野の写真は2枚しかありませんでしたね。
かつ、そのうちの1枚は集合写真でした。
そういえば検死した際の写真があるっぽい感じでしたね。
果たして「肖像」とはこの3種の写真のうちのどれなのか。
あるいは上記3種とは全く違うルートの写真があるのか。
そして「斬奸状」。つまり犯行声明文です。
事件直後の新聞には、西野が「大臣が伊勢大廟を汚し云々」の「檄文」を持っていたとありました(朝日新聞1889年2月13日朝刊)。
また、当時1889年2月14日の朝刊には、「檄文様の書類」は大臣邸の警官から警視庁に手渡されたこと、その内容は「伊勢大廟云々」のことだけで他への言及は一切ないこと、以上の2点が記されるのみで、檄文(斬奸状)の全文は公開されていません。
たまりかねて、3月3日には「西野文太郎凶行の趣意書を公にすべし」という寄稿が載せられています(朝日新聞、同日朝刊)。趣意書=檄文、つまりは「斬奸状」のことでしょう。
この寄稿記事は、西野の遺書はすべて公開されたのに、なぜ趣意書を公開しないのかと批判したものです。遺族に配慮して公開しないのかもしれないが、それでも公開することが犯罪抑止のためなんだと主張しています。
ちなみに、この寄稿記事はとても良いので、稿を改めて取り上げてみようかなと思います。
というわけで、招魂祭の発起人たちは、事件当時は表に出なかった西野の檄文(趣意書、斬奸状)をどこからか(普通に考えれば警視庁)入手し、それを景品として参会者に配布したというわけです。
「それ、読みたかったんだよ~。」という声、続出だったかも知れません。
それ目的に参加した人もいたかもしれません。
もちろん写真も貴重!
話を現代に戻しましょう。
将来、山上がこのように英雄扱いされる時がやって来るというのでしょうか。
山上の犯行動機は私憤です。
ですが、同様の被害にあっている人が一定数いて、
かつ、そうした状況、および献金が隣国に渡っている事実が明らかになり、
公憤・義憤の要素も形成されつつある状況だと思います。
もちろん、義憤の要素があるからといって、彼の行為を賛美するつもりは毛頭ない。
同じ被害を受けていても、普通は殺人などしない。
どこかで踏みとどまるし、
普通は殺人を思い付かない。
なのに、思い付き、実行してしまった。
同情の余地はあるものの、法に則って罰せられるべきだと思っています。
しかし、西野を称賛する人が当時からいたように、山上を称賛する人がいてもおかしくはない、とも思うんです。認める認めないとは関係なく。
そういった動きをいかに最小限に抑えることができるか、
それが現代の民主主義の力の見せ所。
伊勢神宮で不敬な振る舞いをしたというだけで大臣を殺害した西野は論外として、
時を経て、公的な組織、立場にいたにも関わらず、
西野を英雄認定した史談会と、
盛大に招魂祭を開いた三浦梧楼や犬養毅ら発起人たちの判断は間違いだった。
そう思います。
たとえ巷間に西野を英雄視する空気が醸成されていたとしても、です。
とはいえ、すでに起きてしまったことをどうこう言っても仕方がない。
議論をすることなく問答無用で殺人を犯す人を賛美するような精神の結果、
コテンパンにやられたことを知っている現代の私たちは、
反面教師とするしかないわけです。
(しかし旧統一教会追及の手を緩めてはなりません。それとこれとは話が別。)
しかし結局のところ、私がこんなことを言っても独り言でしかないので、
将来の山上評価が未知数であることに、変わりはない。
山上容疑者に何らかの判決が出て、服役し、
のちに釈放されたとしても、そうならなかったとしても、
今から25年後の山上評価、どうなっているのだろうか。
…という懸念を完璧に忘れるぐらい、安穏な世であることを祈ります。
森有礼暗殺事件とその後(おわり)