栗毛の超特急ミホノブルボン | age-eikichiさんのブログ No pain No gain

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競馬は走る前から勝ち馬(着順)が決まっている?

それは八百長ではないのか?

違う。八百長を防ぐ為に管理(オペレート)されている。

という妄想ブログ。

1992年の皐月賞&ダービーのクラシック2冠馬で、年度代表馬にもなったミホノブルボン(牡28)が22日に老衰のため亡くなったとの事。


私が初めて馬券を勝ったのは91年の天皇賞・秋(初の馬連発売GⅠ・メジロマックイーン18着降着)ですが、本格的に競馬を始めたのが92年。リアルタイムに体感した初めてのスターホースがミホノブルボンでした。


ミホノブルボンの存在を知ったのが92年のスプリングS。前年の無敗の2歳チャンピオンながら、朝日杯がハナ差の辛勝だったためこの時は2番人気(1番人気はノーザンコンダクト)。

ブルボンは不良馬場をものともせず逃げて7馬身差の大楽勝。ちなみに、このレースには歴史的スプリンターのサクラバクシンオーも出走していたのですが、ブルボンのハナも叩けず12着に惨敗しています。


皐月賞(単勝1.4倍)を2馬身半差で快勝したのに、血統背景(父マグニチュード)からダービーでも距離不安が取り上げられ単勝は2.3倍。

しかしながら、ブルボンは後続に影も踏ませず4馬身差の圧勝!



壮絶な2着争いを制したのがライスシャワー。後にミホノブルボンの最大のライバルになる訳ですが、この時は16番人気の伏兵にすぎず馬連は300倍弱の高配当でした。


この年は、外国産馬のヒシマサルが重賞3連勝(きさらぎ賞・毎日杯・京都4歳特別)したのですが、当時は○外にクラシック出走権なし。

ブルボンと同じ戸山厩舎にはレガシーワールドがいて、セントライト記念でライスシャワーを破って勝利したものの、せん馬のためこちらもクラシックには出走出来ず。


菊花賞トライアルの京都新聞杯を日本レコードで圧勝したミホノブルボンの無敗の3冠達成は間違いないと思われていました。

後から思えば、2着のライスシャワーに詰め寄られていたんですよね。


そして菊花賞。京都新聞杯で逃げられずに惨敗した逃げ馬キョウエイボーガン(神戸新聞杯勝ち)が玉砕の逃げ。ブルボンは二番手ながら前を追いかけたがる様子。それをマークする的場のライスシャワー。

最後の直線。先頭に立ったミホノブルボンに外からライスシャワー、さらに内から岡部のマチカネタンホイザが襲いかかる。

抵抗するブルボンでしたが、ライスシャワーに交わされ2着。3冠達成はなりませんでした。それでも一端交わされたマチカネタンホイザを差し返しての2着確保は負けて強し。


ダービー
枠連【7‐7 】 馬連29580円

菊花賞
枠連【4‐4】 馬連490円

同じ2頭で決まったのにこの配当の差。2月22日のゾロ目に亡くなったのも運命の悪戯?


この後ミホノブルボンは、相次ぐ故障や戸山調教師死去に伴う転厩(鶴留→松元茂)など困難が重なり結局ターフに復帰する事はありませんでした。

通算8戦7勝(GⅠ3勝)。メジロマックイーンやトウカイテイオーとの戦いは残念ながら叶わず。

メジロパーマーやツインターボとの逃げ合戦も見たかった!


年度代表馬
90年 オグリキャップ
91年 トウカイテイオー
92年 ミホノブルボン
93年 ビワハヤヒデ(トニービン元年)
94年 ナリタブライアン(ブライアンズタイム元年)
95年 マヤノトップガン(サンデーサイレンス元年)


個人的には、サンデーサイレンス産駒が席巻した95年(地方交流元年)以降は競馬が変わってしまった気がします。


メジロマックイーンを含めて、古き良き時代の名馬のほとんどがいなくなってしまいました(>_<)

残ったビワハヤヒデ(牡27)には是非とも長生きしてもらいたい!大好きな馬なので。


逃げのイメージしかないミホノブルボンですが、デビュー戦は中京の芝1000Mで出遅れ→追い込み勝ち。上がり3ハロンがなんと33.1!この時代では驚異的な数字(・・;)









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