東北旅2日目は朝ご飯を早目に済ませ、前々から参拝したかった丹内山神社へ向かいました。    

ありきたりな朝食画😅


一の鳥居



案内図



二の鳥居、写真だけパチリ♪

駐車場は更に上なのでここは写しただけ。



車を止めた駐車場近くで🐸カエルがいました♪ラブ



境内に足を踏み入れると一気に神聖な雰囲気に包まれます。






両部鳥居


こちらの丹内山神社を知ったのが5年ぐらい前、茨城県北茨城市に鎮座する花園神社を訪れたのがキッカケだった様に思います。

山の奥深くにある花園神社は坂上田村麻呂が霊夢によって創建した神社として伝えられており、坂上田村麻呂を調べていたら丹内山神社へ繋がったと記憶しています。













東和町東晴山の滝沢の滝に出現した赤子が猿ヶ石川を渡り、赤子道山を登り、堂山の頂上にたどり着き、円い石を採って乗り、この石が落ちて止まった所に我は住むと誓って石を転がします。

その石が止まった所が現在の丹内山神社だったと伝えられています。





本殿は文化 7年(1810)藩主南部利敬によるものです。

本殿の中には南部氏の家紋がついた厨子が納められているとのこと。 





御祭神 


多邇知比古神(たにちひこのかみ) 

※土着神かな⁇


延暦 20年(801)坂上田村麻呂が東夷追討の祈願をしています。

834年頃、弘法大師の弟子日弘が布教の為来て、携えてきた仏の不動尊を御堂に納めました。

その後、平泉を築いた藤原清衡が篤く信仰し、耕地 24町歩と108ヶ所の社堂と108体の本地仏を寄進していますが、現在は一堂・一仏も残されていないそうです。






建物は密教系仏堂の形式で建てられており、外壁には地の彫刻名人千葉八重郎によるものです。






本殿裏の一段高いところにに蝦夷たちの神と云われるアラハバキ神の磐座があります。


アラハバキ神が宿る磐座照れ




丹内山神社の御祭神の多邇知比古神(たにちひこのかみ)がアラハバキと、同一神なのかは分かりませんあせる


中はこんな感じで、恐る恐るですが潜ってみました。

磐座中央付近に山型の岩があり、そこが難所で出るのに苦労しました😅




裏側から


🌳木も素晴らしく、神様が枝に腰掛けて参拝者を見ているんじゃないかな?なんて枝っぷりがカッコよくて変な妄想が…スミマセン😅


せっかくなので坂上田村麻呂と蝦夷のことを少し触れてみたいと思います。



  坂上田村麻呂と蝦夷のアテルイとモレ



アニメのアテルイ、画像はお借りしました。


坂上田村麻呂は大和朝廷に反発する蝦夷を討伐して征夷大将軍になった人物です。

蝦夷たちの中でもリーダー的な人物が二人おり、その名が弖流為(アテルイ)母禮(モレ)です。

 

大和朝廷は蝦夷を討伐するのに兵を送りますが、失敗し返り討ちに遭います。

そこで任命されたのが征夷大将軍の坂上田村麻呂でした。

蝦夷たちも長年に及ぶ戦さ続きで疲弊し、田村麻呂との戦で最終的に大和朝廷に屈したのでは無いかと思われます。


坂上田村麻呂が敵陣の丹内山にわざわざ蝦夷討征の祈願をしているのが不思議ですね。キョロキョロ

敵の神様に祈願なんて違和感を感じますよね。

呪術的なことを施して敵の神の力を逆に利用しようと考えていたのでしょうか…。


田村麻呂の軍門に下ったアテルイとモレを伴い京都に帰還して彼等を起用するよう朝廷に嘆願をしている件も考えると、

もしかしたら戦いの中で蝦夷たちに共感、尊敬する部分があったのでは無いのかと勝手に想像しますが、真相はどうなんでしょうか…。

最終的に田村麻呂の願いも虚しく朝廷に却下され、アテルイ、モレは処刑されてしまいます。😢




境内にある観音堂





藤原氏から寄進されたと伝えられている

木造十一面観音菩薩立像不動明王立像が祀られているらしいので、十一面観音と不動明王のご真言を唱えさせて頂きました。



丹内山神社はご神気が強く、萎縮してしまいそうな雰囲気でしたが、お参りしてみれば厳しさの中にも温かみがあるそんな雰囲気のある神社でした。

※一部の記事の説明文などは丹内山神社のパンフレットより引用させて頂きました。

訪ねて頂きありがとうございました♪🙇


蝦夷のアテルイのことがとても分かりやすく説明されているYouTubeがありました。↓




アラハバキ神のことにも少し触れさせて頂いている記事です。↓