空が青いから。
見慣れた道だから。
仕事行かなきゃ。
ご飯作らなきゃ。
朝起きたから。

そんなことで意識や感情と関係なくぼたぼた垂らしていた涙がぴたっと止まった。

自律神経やホルモン系が勝手に調整のために流していた涙が止まった。
そう理解した。
とにかくこの体を生かさなきゃと、
本人の知らないところで必死に働いていた機構が、ある閾値に達して、
あとは本人の感情に任せようと、主導権を手放して役割を終えたと解釈した。

二日間、涙を流さない日があって、
その後の涙は、思い出や悲しみと連動した、情動的な涙になったと感じた。

これからは私自身の心が泣くのだ。
そう思った。

なぜ、そんなに確信の「ぴたっ」を感じたかというと、まったく人様から見たら意味不明なトリガーかもしれないけれども、
こんなことがあった。

仕事帰りに合流して一緒に帰っていた三男が、その日、供花の花束を選んだ。
「え?それ?」と思った。
私は特にきれいだとか次男に似合う色だとは思わなかった。
自分なら選ばないとさえ思った。
でも買って帰った。

ただ、帰ってから花瓶にいけて飾った時、
なぜか、とても美しい、と感じた。
ある画家を即座に思い出すような、
生を直感させる色合いだった。

ただ、それだけ。

その夜、理不尽な涙は溢れなかった。
次の日も溢れなかった。
不思議なことに、悲しいのに涙が出なかった。

その2日間が、私の身体の機能の切り替わり期間だったんだ。

これからは、私自身の気持ちが涙を制御していくんだ、と思った。

悲嘆の波はわかっているけれども、
今現在はそういう気持ち。