音痴は歌うな | ミートグラタンのブログ

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音痴の歌は勘弁願いたい。

歌うなとはいわないが、
防音設備の整ったところで一人で歌うか、
音痴仲間だけで歌っていてくれ。
鼻歌もやめてくれ。

こちとら、絶対音感持ちのおかげで、
不協な雑音には極度に弱いのだ。
脳みそが全力で拒否して頭痛起こすんだ。

あと、
子供が産まれたら、子供に歌を聞かせるな。
また音痴が増える。
音感は最も早く固定してしまう資質の1つ。
だから、音痴はわが子に歌を聞かせるな。
鼻歌もダメだ。

わが子を音痴にしたくないならば。

もちろん遺伝もあるが、
最善の配慮をして、その影響を最小限に抑えられれば、
ひどい音痴になるのは避けられるだろうし。
だからって、
音痴×音痴から産まれた子供が歌上手い子になるなどという無駄な期待はしないこと。
良くても並み下だよ、そういうのはね。

とーにかく、
まず自覚してくれ、音痴であることを。
頼むから、歌わないでくれ。
練習しても無駄よ。
音痴は治らない。
運動音痴が運動神経抜群になれないのと同じだ。
こればかりは、治らない。
何しろ音痴なんですから、音を捉えられないのですから、治るわけがないのです。

あと、音痴は語学にも向いてないよ。
これも同じ理由。
音を捉えられない、イントネーションを把握できない、間合いリズムを捉えられない、
だから、語学にも向いていない。
ついでにダンスも無理だな。
リズムとれないんだから、踊りも無理ね。

ほーら、
音痴って意外と致命的な欠点なんだよ。

だからね、
少しでも音痴遺伝を軽減させるためにも、
あなたが音痴なら、産まれた子供にあなたの歌を一切聞かせちゃいかん。
12歳を越えるまで、絶対に歌うな。
それ以降はもう好きにしたらいい。
子供の音感も決まってしまっているだろうから。
本当は2歳までにある程度は固定してしまうんだけど、そこから10歳くらいまでは、年々少なくはなるがまだ改善要素が少し残されてるから、だから、歌うな。鼻歌もだ。

音痴は人様の迷惑になるからね。


私は音に関しては大得意だけど、
音楽に比重が傾き過ぎて、絵画や彫刻のような美術はひどい有り様。
むしろ壊滅的と言っても過言ではないくらい最悪レベル。
だから、美術が得意な人を凄いと思う。
自分が持ってない才能を持ってる人を、私はとても好きで尊敬しちゃうのね。
うわー、すごいなー、って純粋に憧れる。

どうしてこうも偏っちゃったかなぁ。
と自分で残念に思うけれど、
ま、それがまたいかにも私らしいといえば、らしいので、そのまま受け止めてきたけれど。
お絵かきができたら、きっと楽しいだろうなぁと未だに思うよ。


私は息子たちの前でお絵かきは一切しません。
出来ないわ、私のひどい絵を見せて、息子たちが私みたいな有り様になったら大変だし恐ろしい。
幸いなことに、シュンはお絵かき工作が上手なので、二人ともシュンに似てくれたらいいなと。
上の息子は、私の音感をがっつり引き継いでるけど、お絵かきは多分、私ほど酷くはないだろう感じ、工作は多分得意。
下の息子はまだ分からない。ただ、音にはそこそこ敏感。
でも、上の息子よりは多分音感は多少落ちるかも知れない。
その分、お絵かきが出来るといいな。
上の息子は私と同じ、多分、絶対音感持ち。
もう1年ほど様子みればハッキリ分かるだろうけど、今はまだ多分だね。

運動神経は二人とも悪くなりようがない遺伝子だから、いいでしょ並みより大分は。
天才にはいくら足掻いてもなれないでしょうけど。

頭脳は遺伝子的にはすこぶるいいはずなんだよね。
ただ、センスが備わってるかどうかは分からないが。

ま、私は頭脳に関しては結構どうでもいい派なんでね。

頭脳より運動神経重視派です。

きっと自分が、頭脳なんて努力次第でどーにでもなると思ってるからでしょうね。
天才にはなれなくても、秀才にはなれる領域だと思うから。


運動神経や音感や芸術のような、努力だけじゃどうにも出来ない領域が好きなのです。
神様が与えてくれた最上級のギフトが存在する先がそこだと思ってるから。
ここは、秀才になることさえ神様の特別なギフト無しには入れない領域だから。
天才なんてそれこそ奇跡のギフト持ちしかなれない領域だから。


息子たちが何の才能を受け継いで、何の才能を引き継がなかったのかは分からないし、
私にもシュンにも祖父母たちにもない、違う才能を新たに持ってるかも分からない。
でも、何であれ、何かしら神様からギフトはもらって生まれてる。
これは誰でもだよ。
何ももらわずに生まれてきた子はいない。
ただ、そのギフトが何なのか、自分で気づいて、それを伸ばせば、きっと道は拓けるようになっている。
それぞれに見合った方向に。
もちろん、ギフトには優劣がある。
いいギフトを貰えた人、大したギフトを貰えてない人。
でも、どちらにしても気づけなければ同じだよ。


こないだのNBAファイナルの最終戦。
ギャバリアーズがミラクル勝利で優勝したけど、
あの試合、
レブロンが4Qに神様と繋がった瞬間があって、
あー、やっぱり天才は自分から繋がりに行ける何かを受けて生まれてきてるんだなぁとひしひし感じた。
レブロンはホイットニー・ヒューストンと同じで、自分から繋がりに行く感じなんだよね。
いつもかもはいなくて、必要な時に、ここぞって時に、それを掴み取るかのごとく上に腕を目一杯伸ばすように、エネルギーを弾けさせた時に神様と繋がれるというのかな。
だから、繋がるまではすごい苦しいはずなんだよね。あれだけのエネルギーを自分の核に凝縮させてビッグバンのように爆発させるギリギリまで上げていくのは。
恐ろしいまでの集中力。その時点ではまだ神様は降りてない。
ビッグバン寸前まで行った時に腕を目一杯伸ばして神様を掴む。
そしたらもう、神様は満面の笑顔で降りてきてくれて、天才にしか受けられない爆発的な愛情を捧げられるんだよね。
凄かったよ、繋がるまでのレブロンの全てが。
そして繋がってからの驚異は神々しかった。
マイケルジョーダンみたいに、いつも神様がそばにいる史上最強のパーフェクトギフトも最高だけど、
私はレブロンのもがきながらも必死に繋がりに行って、そして掴みとることが出来るギフトに憧れます。
もちろん、繋がれる時点で天才だからです。
天才しか真の意味では繋がれません。

私は天才が大好きです。
そして、一番好きなのがレブロンやホイットニーのように、決められたジャンルでのみ、しかもいつも繋がれるわけじゃない、でも必死に自分で繋がりに行き、必死にその瞬間を掴みとる天才が一番好きです。

本当に本当に、
NBAファイナル最終戦のレブロンはカッコ良かったです。
1Qから模索しながら少しずつ集中力を上げていって、迷いを振り切って、冷静に静かにエネルギーを充満させていって、4Qのビッグバンみたいな爆発的な瞬間、そして神様の手を掴んだ後のまさに天才炸裂なプレー。
もう、最高なんてものではなかった。
ありがとうって思ったし、涙流れた。
凄まじかった。

天才っていいね。
奇跡を奇跡じゃなくしてくれる。
事実にして見せてくれる。
そして必ず何かを与え分けてくれる。

ありがとう、レブロン・ジェームス

神様、天才をありがとうございます。