私の親ガチャ | (社)あがり症克服協会 鳥谷朝代のあがり症克服講座

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中学の本読みで発症以来17年間苦しめられたあがり症を克服。
14年勤めた名古屋市役所を退職し、(社)あがり症克服協会を設立、理事長に就任。
元あがり症ならではの視点で、あがり症克服に関する情報や、教室風景を発信していきます!

少し前に「親ガチャ」という言葉が話題になりましたねにひひ
ちょっとしたネットスラングでしょうが、せっかくなので私の経験を。
 
私の両親は中卒です。
 
父の実家は貧しい八百屋で、9人兄弟の末っ子として生まれた父は、学校でもトップの成績だったそうですが、いわゆる口減らしのため、15歳で丁稚奉公に行かされました。

 

母の実家も貧しく、15歳で働きに出ながら、共働きの両親の代わりに家事全般を担っていたそうです。
 
結婚当初は6畳一間の風呂なしアパート。私も幼稚園までそこで育ちました。

小学生~中学生までは市営住宅に住んでいました。
 
塾に通ったことも、楽器やスポーツの習い事をしたこともありません。
唯一、小学校~高校生まで続けていた書道は、お月謝免除の特待生でした。


高1から自分のお小遣いはバイトで稼ぎ、18歳のとき、貯めたお金で車の免許を取り、中古車を買いました。
 
親は、「せめて子供には学を」の逆を行く人で、成績優秀なのにいい大学に進学しようとしない親子を学校も不思議に思ったことでしょうあせる

あがり症だったこともあり、先生の勧めで公務員試験を受け合格にひひ
高卒採用の子は、同じように苦労人が多く、特に劣等感を感じることはありませんでした。
 
父は亡くなる直前まで市役所の守衛士として働き、母は食堂やスーパーで長く働いていましたが、私のスカウトにより(笑)うちの用務員となり、74歳の今もなお、脚立に乗り、高所の窓拭きや庭木の剪定をバリバリこなしています。
 
振り返れば、私も両親と同じく、15歳のバイトから今日まで、休むことなく働いてきました。
「働かざる者 食うべからず」両親の背中を見て教わったことです。
 
「人様に迷惑をかけるな、決めたことは最後までやり抜け」が口癖だったので、父が亡くなった日も、担当講座に穴をあけることなくやり遂げました。
 
経済的に裕福ではなかったけれど、謹厳実直に生きる姿勢を学びました。
何より、自分でも耳キーンするほど高低差のあるタフな人生、振れ幅ハンパないトリッキーな生き方をさせてくれて、感謝しかないですべーっだ!
なんせ、風呂なしアパートから、カリスマセレブ社長ですから宝石紫(どこが!?
 
今、仲良くしてる人は、生粋のお嬢様も多いのですが、羨ましいとか恨めしいとかの感情はまったくなく、知らない世界を教えてくれてありがとう~宝石緑とマジで思うとります。
 
自分で稼いだお金で、好きなものを買い、好きなものを食べ、好きなところへ行き、好きな習い事ができる幸せ。


人生を2度生きているような、一粒で2度おいしい的な、お得感すらしていますべーっだ!
 
というわけで、私のガチャは大当たりです!!