"well"で"enough"な
本日9月11日
同時多発テロから20年が経ちました
ワタシにとってこの同時多発テロは
個人的にとても思うところがあるので
今日はそのお話をさせてください
さかのぼること20年前
2001年9月12日
(時差があるので、日本は翌日)
25歳のワタシは、あの日あの時間
渋谷のスクランブル交差点で
親友と信号待ちをしていました
その時、目の前の巨大スクリーンに
あの光景が飛び込んできたんです
何事かと思いました
開いた口が塞がらない、とはまさにこのことで
目の前で
こんな事が本当に起こるなんてありえないって思いました
だけど確かにあの光景は
夢なんかでも
映画のワンシーンでもなく
現実に起きていることを悟りました
衝撃でした
そして
この国に本当に行けるのか
途端に不安に立たされたんです
そうなんです
ワタシはその時点では
アメリカに住むことを決めていて
まさにビザの申請中でした
マンションも解約をし
仕事もやめ
友達の家に住まわせてもらっていました
ワタシの未来が
一瞬にして白紙になる
渋谷スクランブル交差点の
巨大スクリーンに映し出された
ツインタワーが崩れ落ちるあの光景は
日本を後にして
アメリカに住むと決めた
ワタシの輝かしい未来が崩れ落ちる
そことダブって見えたのです
ワタシの未来はどうなっちゃうのだろう……
そんな不安にかられながらも
ワタシがこれ以上出来ることは何もないし
それこそ今後の采配は
神のみぞ知る
そうやって落ち着きを取り戻していったら
「なるようになるだろ!」
別にアメリカがダメなら
他の国に行ってもいいもんね
若いからこその大胆な気持ちも芽生え始めました
そして
9月11日から35日後の
10月16日
アメリカの地に降り立つんです
ビザも無事に取れました
今思うと
あのタイミングでビザが取れ
9.11の1ヶ月後に渦中のアメリカに降りれたのは
奇跡かもしれません
あの1ヶ月の間に
ビザの発行手続きをしてくれた
アメリカ大使館の方たちには
ものすごい感謝です
そしてそのアメリカに20年住んでいます
今年の10月16日で
在米歴も丸20年です
同時多発テロとワタシは
外側のつながりは全くないけれど
ワタシがこのアメリカを第二の故郷と言えるようになった
とても感慨深い出来事です
毎年この日は
静かに黙祷を捧げていますが
今日は特に
この同時多発テロで亡くなった
2977名の尊い命
その中の27名の日本人の方たち
犠牲者の家族
犠牲者たちが愛した、または
犠牲者を愛した、一秒でも関わったことのある全ての人たちへ
哀悼の意と未来への祈りを捧げます