癒やすアロマより

使えるアロマ

 

全米一面白くて分かりやすい

プラクティカルアロマセラピー主宰

 

 

LA在住19年目 

愉快でゴキゲンなアロマ師

野村アサミです

 

 

 

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《この記事は2018年9月の記事です

今でも同じ気持ちだなーと思ったのでもう一回再投稿しますね》

 

 

 

 

 

 

本日は娘ネタ。

 

 

 

 

三女があるチームから外される

 

他の子たちはひとつ上にあがったのに

ウチの娘だけそのまま

 

という事がありました。

 

 

 

 

子を想う母の立場からすると、

 

「ウチの〇〇だけが外れて可哀想!」

 

「先生に確認しなきゃ!」

 

と、なりがち。

 

 

 

 

 

 

 

はい、ワタシもそうなったんです。

なりかけたんです。

 

 

 

 

 

 

でもね。

一応コーチに確認を取る前に

娘に確認をしなきゃと思って

 

 

 

ワタシ

「ねぇねぇ、○○チームに入れなくってどう?イヤだった?」

 

「別にーーー」

 

 

 

 

意外な答えに

一瞬拍子抜けはしましたが

 

 

娘が大丈夫というのなら

ワタシの出る幕はありません。

 

 

 

 

 

 

その時ふと気づいたんです。

 

 

 

 

 

○○チームに入れず、イヤだと思ったのは

娘ではなく、この「ワタシ」だったんです。

 

 

 

「ワタシ」がイヤなんだから

娘もイヤであろうと《勝手に》思っていたんです。

 

 

 

 

 

 

 

本当は娘が

「うん、ちょっとさみしい」

という答えを期待(?)して、

 

次に続く言葉は

「それなら、ママがコーチに確認してあげるからね」

って言おうと思っていたのです。

 

 

 

そんなこと全く必要もないのに。

 

 

 

 

 

仮にです。

その上のチームに上がれず、

寂しい想い、悔しい想いをするならば、

 

娘本人がコーチに掛け合えば良いんです。

 

 

理由をしっかり聞けば良いのです。

 

 

 

 

ワタシ、モンスターペアレンツとまでは言わないけれど

なんでもしゃしゃり出ちゃう親になろうとしていました。

 

 

 

 

多分ここで、子どもの年齢を口にする親って多いと思うんです。

 

 

 

「ウチの子はまだ小さいから。」

 

 

 

 

 

今回この件は、三女コアに起こった出来事です。

 

彼女は10歳。(2019年当時の年齢)

 

 

 

 

 

10歳の子がコーチに対して、

自分がチームに外された理由を自身が聞きに行く、というのが

「早い」のか「妥当」なのか。

 

これは意見が分かれそうですが、

 

ワタシは自分が聞く「べき」だと思っています。

 

 

 

 

 

本人がその結果に疑問を持ったのなら

親ではなく本人が聞きにいけばいいと思うんです。

 

(もちろんその後のアフターフォローは万全にです!)

 

 

 

 

まだ小さい、まだ小さいって、

じゃぁ

いつになったら大きくなるんだろう?

 

 

 

子どもって親が思う以上に

なんでも出来ちゃうものです。

 

 

 

 

失敗するのはしょうがないことでしょ。

 

たった一回の失敗で「出来ないから」「まだ小さいから」って

その子の可能性を潰しちゃうのって

もったいなくないかな?

 

 

 

 

「出来ないから」「小さいから」って育てていると

本当に「出来ない」子になっちゃうしね。

 

 

 

 

これ、別に子どもに直接言わなくても

子どもには伝わっちゃうもの。

 

 

 

親の行動が「出来ない」はじまりなんで、

子どもにはいとも簡単に伝わっちゃう。

 

 

 

子どもの代わりに親がなんでもしちゃうと、

それこそ子どもは全て親まかせになっちゃうよね。

 

 

 

 

それこそ、体、年齢ともに本当に大きくなっているにもかかわらず

まだ小さい子どものまんま・・・ってことにもなりかねない?

 

 

 

 

 

敢えて「何もしない」というのは

十分すぎるほどの親の愛情だと思うんですよね。

 

 

 

 

 

「何もしない」代わりに

お話は沢山聞いてあげましょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の大きな気付きは実はもう一個ありまして。

 

 

 

 

「ウチの子どもが可哀想」っていう

「可哀想」は

 

あれ子どもじゃなくて

「親本人=自分」が可哀想って思っているんだってことにも

今回気づいたのです。

 

 

 

 

チームから外された娘を見る

「自分」が可哀想って。

 

 

もっと発展させると、

 

周りから

「○○ちゃん外されちゃったよねー」って

思われる「かもしれない」自分が可哀想だって。

 

(他人はそんな事まったく思いません。

気にもしてませんよ。

そう思っているのは「自分だけ」なんだよね)

 

 

 

 

そこに娘の存在はまるでないということに

気づいた時、衝撃が走りました。

 

 

 

 

モンスターペアレンツって

まさにそこなんじゃないかなって。

 

 

子どもがイヤな思いをしている

可哀想ってのは、

 

本当は子どもじゃなくて、親がイヤなんだよね。

 

親本人=自分を可哀想って思ってるんだよね。

 

 

 

 

今回のことに当てはめたら

娘はイヤだと思っていなかったのに、

ワタシが勝手に可哀想って思っていただけでした。

 

そこに娘の存在は「不在」

 

 

 

 

自分が叶えられなかった夢を

子どもに託す、というのはよくある話。

 

 

そこが良いとか悪いとかではなく、

 

子ども不在で親の思いだけが先走ると、

その先に待つのはまさにモンスターペアレンツじゃないかなって。

 

 

 

 

 

 

しっかりと立ち止まろう。

 

 

子どもの声をしっかり聞いてあげよう。

 

 

 

勝手に解釈しないためにも。

 


 

 

 

 

親ができることって、

あくまでサポート。

 

 

子どもが「自立」するためのサポートを

ある年齢までする。

 

後ろでしっかり支えてあげることだよね。

 

 

 

 

 

 

それを最近は、子どもより

前に前に出てきちゃう方が多いような気もしてね。

 

 

え?どっちが主役?みたいな。

 

 

 

決して自分はそうならないように、と心がけてはいましたが、

どこにそのキッカケが落ちているかは分からないものね。

 

 

 

 

ワタシもあと一歩のところで

子どもより前に前に出ちゃうところでした。

 

 

ともすればモンスターペアレンツにもなっていたかもしれない。

 

 

 

危ないところでした。

 

 

 

 

一歩手前で気が付いて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの何かのお役に立てられたら嬉しいです☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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